24人が本棚に入れています
本棚に追加
歓迎会
「校長先生、一杯どうですか」
「あれ、桜井か――久しぶりだな」
耳の奥まで響く低音、ちっとも変わってない。10年ぶりに再会した先生の声は、私の記憶と1ミリも違わなかった。その声で怒られもしたし励まされもした。先生とのほろ苦い思い出がせわしなく胸をよぎる。
新任の挨拶や職員会議で、何度か顔を合わせはしたけれど、直接二人だけで話すのは今日がはじめてだった。
この店は学校の御用達として使っている、少しだけ高級な居酒屋のお座敷だ。我が校、M大学付属の中高一貫校の教員が総勢40名ほど集まっていた。
みな新任教員の歓迎会だということを忘れ、ここぞとばかりに日頃の憂さを晴らして騒いでいる。
新任校長の席には、お酌や挨拶を交わしにひっきりなしに誰かが訪れていた。先生達の挨拶も一巡したところを見計らって、ようやく私も重い腰をあげた。
高校の恩師であり、今は学校現場の頂点に立つ上司として挨拶くらいはしなくては。青春時代の淡い思い出を引きずるほど、私も子どもではないと自分を奮い立たせた。
社会人の端くれとして恩師に対し、ただ挨拶をすればいいだけの話だ。なのにこうして二人で面と向かって話すのは、やはりどこか気まずかった。
なんせ私が教師になったきっかけを作ったのは、他ならぬ目の前にいる校長先生なのだから。
「ご無沙汰しています、先生もお元気そうで」
「何年ぶりかな。そうか、もう桜井じゃなくて、桜井先生って呼ばないとな」
「槙先生に先生と呼ばれるのは、なんだか慣れません。呼び捨てのままでいいです」
私は謙遜を混じえて言ったつもりだった。
先生の顔がふと真顔に戻った。
「大事なことだ。お前はもう先生として生徒の前に立って指導する身だろ。それなら俺も敬意を込めて先生と呼ばないとな」
背中にひやりとした水のようなものが流れ、私は思わず背筋を伸ばした。担任だった高校一年生のころに引き戻されたみたいだ。
指導する身? 私に指導なんて、そんなたいそうなことできているのだろうか? 生徒相手に友達みたいに振る舞って、果たしてそれで先生と言えるのだろうか。
日頃のモヤモヤとした悩みがぶり返してきて、あわてて脳裏から追い出した。
「いや、そういえばお前、高校の頃から桜井先生って呼ばれてたっけな」
「……よく覚えてますね」
「当たり前だろ。忘れないからな、予習事件は」
そういたずらっぽく答えると先生は少し長めの前髪を揺らして、グラスを仰いだ。
最初のコメントを投稿しよう!