予習事件

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予習事件

 私はおとなしくて目立たない、けれど純朴で単純な生徒だったと思う。私が高校1年生の時、先生は27歳だった。27歳なんて、15歳からしたら大人の男の人だ。  先生は腹の底から響く低音で、自分の人生を語り、文学を紐解き、生徒をよく叱った。  見るもの聞くことが私にとってはすべて新鮮で、私は全身で先生の言葉を吸収した。先生の話はおもしろくって、授業も先生としても人気があった。  でも授業中はすっごく厳しかった。古典の授業では予習をしてこないとその場で立たされた。真面目にやっていないとすぐに見透かされ、怒声が飛ぶこともあった。  私は先生に怒られたくなかったし、古典の勉強自体が苦じゃなかったから、予習を欠かさずやってきた。授業前の休み時間、クラス中慌ただしく予習を写す子たちでごったがえした。 「桜井さん、ノート見せてくれない?」 「この前見せてもらって、ほんと助かった!!」 「桜井センセー、今日もお願いします!」  かわるがわる褒められたり有り難がられたりして、私は調子に乗っていたのかもしれない。  いつの間にか、予習はに見せてもらえばいいとクラスの定説になってしまっていた。授業がある前日までに予習を完璧にこなし、クラスメートにまわす。それが当たり前となっていった。  地味な私がクラスで一目置かれることなど今まであっただろうか。みんなに頼られて浮き足立っていたことは間違いない。私は明らかに担ぎあげられ、しかもそれを心の中で喜んでいた。  そんな子どもの作ったまやかしのようなもの、先生に通じるわけがない。一ヶ月もしないうちに先生に気付かれてしまった。 「おい、なんでみんな予習の答えが一緒なんだ?」  教室内に響き渡る声で私たちは震え上がり静まりかえった。みんな一斉に予習の答えを間違えるなんてこと、あるはずがない。  クラス中の生徒は目線をさまよわせ、次第に私に注目が集まっているように感じられた。私はクラスメートの視線が針のように突き刺さるように感じて、一秒一秒が永遠のように長く感じられた。 「そんなに楽したいなら、他の優しい先生に教わればいい」  そう捨て台詞を吐いて、教室から出ていってしまった。私は冷や汗が止まらず、心臓は高鳴り、爆発寸前だった。 「ねえ、どうする? ヤバくない?」 「謝りに行った方がよくない?」 「担任だし、気まずいよなーなんかなー」  その一言一言が、私を奈落の底に突き落とした。悪いのは私だ。私が「桜井先生」なんて担がれて有頂天になったからこんなことになったんだ。
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