戻ってきた日常

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「失礼します」  先生が校長になってから、初めて入る校長室。そこは私の記憶にある校長室とは違い、ずいぶんさっぱりとした部屋になっていた。今まで壁一面に飾ってあったはずの歴代の校長先生の写真も、革張りのソファーもない。代わりにオフィスにあるような10人ほどが座れる長机と大きなホワイトボードが置かれていた。  奥のデスクで書類に向かっていた先生は、私の顔を見るなり口元をゆるめた。 「みんな、ここに来ると緊張した顔するな」 「だって、校長室に呼び出されたことなんてありません」  気軽に校長室に入れるように色々工夫してみたけど、まだまだみたいだな。そう言いながら先生は部屋を見渡した。 「本当は校長室なんていらないんだ。会議室に改装しようかと思ってる」 「じゃあ先生、職員室で仕事するんですか」 「他の先生が嫌がるかな」  先生がいたずらっぽく微笑むから、つられて顔がゆるんでしまう。 「柚木先生の件、事情はすべて本人から聞いた。お前に感謝していたよ。桜井先生がいなかったら学校を辞めていたと」  柚木先生と先生と教頭で相談して、時短勤務をすることに決まったという。講師の先生に授業数を増やしてもらい対応するとのことだった。二学期からは、国語の若い男性講師がやってくる予定になったと先生は教えてくれた。双方の希望が合えば正規職員としての登用もありえるという。 「少しはお役に立てたようで、良かったです」 「俺からも直接、礼を言いたかった」  先生は突然、心の距離を詰めてくる。気圧(けお)された私は、冗談を言ってかわすしか方法がない。 「わざわざお礼を言うために、私を校長室に呼び出したんですか」 「そうだよ。というか俺のこと避けてないか」  さらに核心を突かれてどきりとする。  私と先生が国語科準備室に二人きりでいたところを、柚木先生に目撃されていた。もしそれが生徒にでも見られていたらと考えると足がすくむ。万が一噂にでもなったら、困るの先生だ。そんな危険をおかしてまで先生に話しかける勇気なんてない。 「質問に答える時間はないと言ったけど、話しかけるなとは言ってない」 「先生、生徒の窃盗事件とかで忙しそうだったので」 「……それもようやく終わったよ」  問題は片付いたはずなのに少しだけ寂しそうに聞こえた。  先生に出会った4月の頃のように、気軽に話しかけるなんてできなかった。期待しては落ち込んで、嬉しいと辛いを行ったり来たり。このまま先生の背中を追って悩み続けるのは終わりにしたかった。前に進みたい。  先生のことは忘れよう。  ショートタイムの開始を告げるチャイムが鳴った。  もう行かなきゃ。 「先生。明日はお休みですか」 「明日? 明日は休みだけど」 「電話してもいいですか」 「どうした。なにか大事な話か......仕事辞めるとか言い出すなよ」  先生は手元の書類を掴むと立ち上がった。校長室の入口まで歩くと、扉に背をつけて腕を組んだ......誰も入ってこられないように。 「先生?」 「実家に置きっぱなしの車、久しぶりに動かさないとと思ってたんだ」 「え?」 「一緒に乗ってくか。どこか遠くに」 「......いいんですか」 「どこがいいか考えといてくれ。迎えに行く」  それだけ告げて、先生は会議だからと出て行ってしまった。残された私はあっけにとられて、しばらく動けなかった。
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