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先生わたしを振ってください
「どこに行くか決めたか」
「海でもいいですか。かなり遠いですけど」
「遠ければ遠いほどいいよ」
土曜日の朝、約束通りの時間に先生は迎えに来た。真夏の青空とミントの葉を混ぜたような水色の丸っこい車。シートに座って見てみると、スピードメーターも丸くて内装もおしゃれだった。
「かわいい車ですね」
「毎年エンジンが2回は壊れて、トランクが雨漏りするけど15年乗ってるから愛着はある」
たまに長距離運転しないと、すぐに機嫌を悪くして調子がおかしくなると先生はこぼした。でもそんな不満とは反対にハンドルを握る先生の横顔は晴れやかだった。そんな故障続きの車に乗り続けてるなんて先生らしい。根が世話好きなんだなと妙に納得する。
車は最寄りのインターから高速道路へと入った。高速から見下ろす街の景色があっという間に過ぎ去っていく。少し走ると初夏の緑が目に眩しい山の風景に変わってきた。
先生の運転する車の助手席に自分が座っていられることが信じられなかった。つい外ばかり見てしまう。
「桜井は運転しないのか」
「免許は取りましたけど、ペーパードライバーなんです。あ、でも疲れたら代わりますよ」
「いや、遠慮しとくよ」
私が選んだ水晶ヶ浜海岸は、県を跨いで西に180キロ。高速に乗っても2時間半はかかる。昔、父によく海水浴で連れて行ってもらった波の静かな砂浜だった。
もう10年以上海水浴には行ってない。毎年夏の暑さを感じる季節が来ると懐かしくなる。真っ青な海に潜る冷たい快感と、じりじりと焼きつける太陽を。
運転して1時間半、高速道路のサービスエリアに入った。土曜日だからか広大な駐車場はほとんど車で埋まっていた。出ていく車を見つけてタイミングよく駐車できた。
「コーヒー買ってくるけど、何がいい?」
「私も行きます」
「いや、2人じゃマズいだろ」
同じ学校の教師が男女二人。いつもなら外を出歩くなどありえない。しかも片方は校長だ。でも。私はあえて反論をしてみた。だって先生とお茶するなんて一生に一度しかないかもしれないから。
「こんな遠くならさすがに大丈夫かなと思って」
「じゃあ来いよ。その代わり先生って呼ぶのはやめてくれよ」
「なんて呼べばいいのか分かりません」
先生は不審そうに眉を寄せた。
「俺の名前、知らないのか」
「知ってますよ!」
街でよく見かけるコーヒーチェーン店に入ると、爽やかなボサノバのBGMと香ばしい香りが迎えてくれた。レジには列ができていて、座席も客で埋まっている。
「……槙さん、どれにします?」
「普通のアイスコーヒーならなんでもいいよ」
私もカフェとかあまり来ないから分からない。配られたメニューとにらめっこして、コールドブリューアイスコーヒーに決めた。この先しばらくレストランもなさそうだから、サンドイッチも頼もうということになった。
「どこかに座って待ってろ。持っていくから」
じゃあ、と言ってお金を払おうとする私に「今まで準備室のコーヒーを勝手に飲んだ分」といって受け取ってはくれなかった。
私は空いていた外のテラス席に座った。ウッドテラスに大型の日除けのパラソルが差してあって思ったよりも涼しい。
先生が運んできたトレーにはサンドイッチ以外にもチーズケーキが乗っていた。先生が美味しそうだったから買ったというので思わず笑ってしまった。
「甘いもの食べるんですか」
「食べるよ。食べたかったらどうぞ」
「いえ、大丈夫です。先生食べてください」
「じゃあ半分ずつにするか」
手際よく先生がケーキを半分に切り分けてくれた。
甘い物も食べるんだ。
私は槙さんのことなんにも知らない。
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