先生わたしを振ってください

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 私はショルダーバッグから小箱を出し、中のハンカチを取り出した。海から上がってきた先生の元へと急ぐ。その姿を見て思わず笑ってしまった。膝から下がすっかり濡れていたから。 「先生、すごい濡れてる」 「すぐ乾くよ」 「海水を甘く見ちゃいけません。すっごいベタベタするんですから」  私は先生に真っ白のハンカチを差し出した。 「これハンカチです。前借りた方は汚してしまったので、これ使ってください」 「相変わらず律儀だな。せっかくだからもらっておくよ」  先生の長い指先が触れた。その感覚でよみがえる、先生と指切りした日を。もっと知りたい、もっと触れたいと願ってしまったことも。それはできないことだと思い知ったことも。  夕焼けが刻々と色を濃くしていった。一日は終わりに近づいている。 「……先生、覚えてますか。高校一年生のときに先生は参考書を貸してくれました。いつか返そうと思ってましたけど、それはもらってもいいですか」  先生は手に付いた砂を払いながら返事をした。 「そういえば何冊か貸したな。使えたか?」 「うぬぼれかもしれないですけど、中身はもう全部覚えました」 「貸した甲斐があったな」 「でも時々読み返して、先生のこと思い出してました」  夕陽を背にした先生の表情は影になっていた。それが私にはありがたい。先生の顔を見たら、何も言えなくなってしまいそうだった。 「授業が満足にできない時は、先生だったらどんな風に教えるだろうって考えたりしました。先生の授業が忘れられなくて、でも追いつきたくても全然追いつけない」 「桜井はいつも、俺を買いかぶりすぎだよ」 「あの学校で働いていれば、いつか先生に会えると思ったのに......まさか校長になって戻ってくるなんて、反則です」  私はわざと明るく言った。  心の奥底に眠る、しこりみたいな溶けない想いが再びうずきだしてくる。 「先生の幻影を10年間追い続けてました。実際に会えたらきっと先生はおじさんになってるだろうなって、勝手にガッカリして笑い話になるんだろうなって。でも違った」  もう、終わりにしよう。 「先生が好きです。今も昔も。教え子で部下の私は先生を好きになっちゃいけなかった。だから諦めさせてください――」 「桜井?」 「先生、私を振ってください」  先生のシルエットがぴたりと止まった。  白い波が私達の足元を瞬く間にさらっていく。
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