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大学時代
高校卒業後、私は大学の文学部へ入学した。
教師になるかどうかは決めてなかったけど、国語の成績だけはトップクラスだったから文学部以外の選択肢は考えられなかった。
4年生になると、教員免許を取るために教育実習がある。私は教育実習生として母校へと戻ってきた。
「槙先生はもういないよ。M大学に移られたんだ――」
先生はいなかった。
大学の教授として、我が校の大学へと去ってしまった後だった。せっかく先生に会えるかと期待していた私は、教育実習での楽しみがひとつ奪われてしまった気がした。
先生に会えない代わりにやってきたのは、先生が熱くなっていた「教師」という仕事だった。なつかしい校舎で、後輩でもある生徒達から「桜井先生」と呼ばれると、胸の奥がくすぐったくなった。全員じゃないけれど、生徒達は純粋な目を向けて私の授業を聞き入ってくれた。
生徒に声を掛けられて、お昼や部活を生徒達と一緒に過ごした。時には悩みを聞いて、懸命にアドバイスしたっけ。
120%の力を振り絞って、あっという間の三週間。実習が終わるころには、私は教師になると決意していたのだった。
「このままこの学校で働けたらいいのに」
「常勤の講師なら、空きがあるよ。やってみる?」
担当教官に軽く促され母校で働くことになった。やるべきことを必死でこなし、あれよあれよという間にもう5年目。3年目から正規の教員にもなり、担任を持つようになった。担任業務と授業の合間を縫って、授業の準備もしなくてはならない。
(この解説の本、分かりやすいな)
著者の欄に何気なく目をやると、そこには先生の名前が。
「先生、本も書いてるんだ――」
大学教授ともなれば、そんなことは十分あり得ることだ。だけどこうして実際に、自分の手にした本の著者がまさか先生とは。
母校に戻って来れば、一度くらい先生に会えるかと思ったのに。会えたのは本の中だけだった。
先生は、私のずっと先を歩いている。追いつけそうもない。
私は社会人として目の前の仕事をこなすことで精一杯で、プライベートを楽しむ余裕なんてなかった。要領が悪いのかもしれない。気付けば仕事以外のことはすべて時が止まったかのようだった。
これといった趣味もなく、彼氏などいない。仕事をこなすだけで十分? それも、もう限界かも。
昨年度の冬、担任のクラスの女子生徒が不登校になった。いくら本人と話をしても、周りの友人に聞いても原因が分からない。万策尽きて欠席日数だけが増えていく。出席簿の「欠」を見るたびに、心の底に澱が溜まるように重く苦しくなっていった。
大学の同級生から、結婚式の招待状が今年に入って2通届いた。
私が必死で教師の仕事を続ける意味って一体何なのだろう。私、このままでいいのかな。
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