言い伝え

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言い伝え

 決して、近付いてはならないよ… その池は、鏡池(かがみいけ)と呼ばれていた。水面が真っ平らで水が澄んでいて鏡のようだからだそうだ。その水面は雨の日でさえ波立たないという。そして、その池には恐ろしい化け物が住んでいる。その化け物はある時は龍のような姿、ある時は女の幽霊のような姿、ある時は侍のような姿…と見る人によって変わるのだそうだ。何にせよ、その姿を見たものはみな化け物に食われてしまうという。  江戸からは程遠い、山の麓に広がる村に祖母と二人暮らしの勘太郎(かんたろう)は、今年で十才だ。幼い頃から聞いていたそんな鏡池の話を、まるっと信じられるような年齢ではなくなった。きっと溺れたら危ないから、子供を近づかせないために大人が作った話だろうと思っていた。 「だって、みんな化け物に食われてしまうのなら、誰が話を伝えたのさ。」 勘太郎のそんな言葉に、祖母は「そうだねぇ。」と笑みを返すだけだった。  秋、黄金色に輝く田んぼ。稲刈りの時期。大人も子供も関係なく、村人総出で収穫作業にあたった。今年もぎりぎり、年貢を納めることはできそうだった。 農作業の帰り道、とぼとぼと歩く勘太郎にコツンと石が当たった。キッと振り向き睨むと平次郎とその取り巻きたちの三人だった。 「やーい、親なし宿なし勘太郎ー!」 「親なし宿なし勘太郎ー!」 いつものことだった。勘太郎の親は二人とも二年前に流行り病で亡くなってしまった。祖母と二人で貧しく暮らしている勘太郎を、村のお荷物だときっと村の大人が陰でぼやいたのだろう。同じくらいの歳の子ども達は、大人以上に残酷だった。 「うるせぇ!宿はあるし、ばあちゃんもいらぁ!」 勘太郎が石を投げ返すと、これもいつも通り、ケタケタと笑って平次郎達は行ってしまった。いつかこっぴどくこらしめてやる、と首から下げた親の形見を握りしめ、鼻息の荒いまま勘太郎は家へ帰った。  稲刈り作業から数日経ったある日、平次郎達はいつもと違った様子で勘太郎に近づいてきた。川で一人釣りをしていた勘太郎は、側にある手頃な石をすぐ手に握った。 「おい、知ってるか、鏡池の言い伝え?」 平次郎はニヤニヤと隙間だらけの歯並びを見せながら言ってきた。 「化け物に食われるって奴だろ。そんなのみんな知ってる。」 勘太郎は油断せず、石をしっかりと握りしめ睨みつけた。 「それだけじゃないんだ。」 平次郎は得意げだ。取り巻きたち二人は「こいつ、知らないぞ。」とでも言うかのように目配せをしてニヤついている。平次郎はもったいぶって続きを言おうとしない。勘太郎が話の続きを聞かせろとお願いしてくるのを待っている。 「教えてやろうか?」 「別に、どうでもいい。」 平次郎と取り巻き達の態度にほとほと嫌気がさした勘太郎は、興味のない振りを強いてした。平次郎のニヤニヤが、歯があまり見えない程度には小さくなった。 「本当にいいのか?今なら教えてやっ…。」 「そんなに言いてぇなら、聞いてやるよ。」 自分の精神的有利がぎりぎり崩れていないと判断したところで、勘太郎は尋ねた。平次郎は得意げにまたニヤニヤを大きくした。勘太郎は少し後悔した。すでに知った話であろうに、取り巻きたちは待ってました!とばかりに平次郎に期待の眼差しを向けた。苛立たしい。 「あの池はな、上手くいけば何でも願いを叶えてくれるんだと。」 「お前にしては、よくできた作り話だな。」 鼻で笑う勘太郎に平次郎は「最後まで聞け!」としかめつらをして、話を続けた。 平次郎によると、過去に鏡池の力により願いを叶えることができた者が村にいるという。つい先日亡くなった名主(なぬし)のところのばあさまがその一人だったらしい。あの人はこの村の一番貧しい家に生まれて特に器量の良いわけでもないのに、村で一番裕福な家に嫁に行った。鏡池に良い暮らしができるようお願いしたからだと、当時はすごい噂だったそうだ。 「…っておらのおっとうが話してんのを聞いたんだ。すごいだろ!」 勘太郎からの感激や驚きの反応を期待しているのが見え見えだった。勘太郎は釣り道具をまとめて平次郎に背を向けた。頭にきたのか平次郎が勘太郎の肩をどんっと突いた。勘太郎は少しよろめいたが、振り返らずにその場をあとにした。遠くからいつもの「親なし…」と囃し立てる声が追いかけてきたが、無視した。  場所を移し、勘太郎はまた一人釣り糸を川に垂らした。しかし、彼の意識は魚を針に食いつかせることには向いていなかった。平次郎には何も言わなかったが、あの話は勘太郎の心をがっちりとらえて離さなかった。 願いを叶えてくれる池? …ばかばかしい。 でも、名主のばあさまの話は? …偶然だ。 もしかしたら、鏡池に近づかせないために、あの化け物の言い伝えがあるのでは? …そんな都合のいい池があるなら、村はもっと豊かなはずだ。 自問自答を繰り返し続けた。考え込んでいる内に、日暮れが迫ってきていた。家に帰ったら、勘太郎は祖母に聞いてみることにした。  夜。囲炉裏で魚の焼き加減を見ていた祖母は、少し驚いたように目を向けた。 「そんな話をしてたのかい、あの子は。」 勘太郎は平次郎から聞いた話をそのまま祖母に伝えた。祖母の反応では、どちらにも捉えられる。勘太郎は焦れったくなりやや早口で、真相を尋ねた。 「名主のばあさまは、ばあちゃんと同い年くらいだったよね。本当なの?」 祖母は視線を斜め上にやり、当時の事を思い出そうとしているようだった。うーん、と唸ってきゅっと目を瞑り、また開いた。 「そんな話もあったねぇ。でも、あの奥様(名主のばあさま)に対するやっかみな気がするよ。」 穏やかにそう言うと、祖母はゆるりと魚に目を戻した。これ以上の話はなさそうだった。 夕飯を済ませ寝床に就いた勘太郎は、なかなか眠ることができなかった。平次郎のことだ。また自分のことをからかっているだけかもしれない。しかし…もしも、もしも本当に願いを叶えられるのなら…。 「おっかあ、おっとう…。」 また会うことができるだろうか。一緒に暮らすことができるだろうか。手を繋いで歩くことができるだろうか。無性に寂しくなり、勘太郎は布団の中でぐっと丸まった。 夜中を過ぎてようやく眠りについた勘太郎は、久々に父と母に手を引かれてあぜ道を散歩する夢を見た。とても、幸せだった。
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