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顔を上げると、優しい笑みを浮かべた鍵師と目が合った。相手も俺を覚えていたらしく「久しぶりだね」と話しかけられる。
恥ずかしい記憶が呼び起こされてしまい、ボッと顔が熱くなった。小さな声で「先日は……ありがとうございました」と礼を言いながら、差し出された鍵を受け取る。
「猫、好きなの?」
ぷらりと揺れる黒猫に、鍵師の手がそっと触れた。
「は、はい……実家で飼ってて……」
「そうなんだ。僕も好きだよ」
可愛いよね、猫。そう続けられた言葉が届いてなかったら、俺は心臓が止まっていたかもしれない。
ドキドキと鼓動が早くなったのは想定外の再会に驚いた所為だと自分に言い聞かせ、誤魔化すように急いで散らばった資料を片付けたのだった。
「お知り合いなんですかぁ? 鍵屋さんと」
鍵師が作業をしている間、後輩はやることがないらしい。仕事をしてる俺の隣にスススーっと近寄って話しかけてくる。先週お世話になったことを当たり障りなく答えると、後輩は「へえ」と頬に手を添えた。
「あの鍵師さん、格好いいですよねえ! オトナのオトコって感じ!」
物腰柔らかいしぃ、色気ヤバイしぃ、ミステリアスな雰囲気がたまらないですぅ! と語尾にハートマークをくっつけながら話してくる後輩を適当にあしらいつつ、鍵師へと目を向ける。同性の俺から見ても非の打ち所がない相手だ。女性から見たらもっとポイントは高いのだろう。
俺の塩対応に拗ね始めた後輩を、タイミングよく鍵師が手招きした。作業開始から約一時間、ようやく終わったらしい。「本当にありがとうございましたぁ~」と普段よりも半オクターブ高い声で礼を言った後輩に、鍵師は落ち着いた営業スマイルで「いいえ」と対応していた。
「またお困りごとがございましたら、ご連絡くださいね」
そう言って鍵師が名刺を手渡す。それから何かを思い出したようにくるりと向きを変え、こちらへ近づいてきた。
「そういえば、大和くんに名刺渡してなかったね」
「え?」
「何かあったらいつでも呼んで」
急に名前を呼ばれたのでびっくりしてしまったが、そう言えばこの前、悠聖が俺の身分証を鍵師に提示していたことを思いだす。粗相を見られた上に、名前まで記憶にインプットされているのかと、なんだか複雑な気持ちになった。
「ご指名頂ければ、安くするからさ」
ーー愛鍵屋 狭川 九敏
見た目も渋いが、名前も渋いなぁ。そう思いながら小さな名刺を受け取った。もう手錠を使うことは無いだろうし、自宅の鍵でも無くさない限り呼ぶことはないんだろうけど。折角だからと、俺は名刺を財布に入れたのだった。
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