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そういえば、こんなこともあった。
深夜に目が覚めたある日のこと。ばたんとドアが閉まるような音が聞こえ、恐る恐るリビングを覗いたら……悠聖が俺の財布から金を抜き取っていた。合鍵を使って入ってきたらしい、その日に限ってチェーンを閉め忘れていた。
急いで悠聖を追い返したが、それからというものの彼への不信感に寝付けなくなってしまい……しばらくの間、不眠症に悩まされたのだ。
悠聖との関係を話し終えたあたりで、ガチャ、と鍵の開いた音がした。ピッキングを終えた鍵師が「おまたせ」と言いながらこちらを振り返る。
「まだ、眠れない日が続いてるの?」
「夜中に目を覚ますことは、しばしば」
鍵師は呆れたような顔をしながら「合鍵なんて、そう簡単に渡すもんじゃないよ」と言う。信用できないような人に渡すから、そんなことになる。自業自得と言われてしまえばそれまでなのだ。
「分かってますよ、でも、そん時の俺は馬鹿で、あいつに本気で惚れてて……合鍵を渡してもいいって思っちゃったんです」
「返してもらえば?」
「返してと言った結果、ベランダに繋がれて酷い仕打ちを受けました」
悠聖には裏切られてばかりだ。一番ショックだったのは、彼女が居たということ。だから俺は別れを切り出した。もうこんな関係はやめよう、と。
だけど悠聖にとっては、収入源のひとつが失われるようなもの。それを避けたかったのか、前言撤回を求めて俺をベランダに拘束。先週の事態になったという訳だ。
鍵師は「はーん、なるほど」と言いながら難しい顔で工具を片付ける。それから少し考えるような動作をして……そうだ、と膝を打った。
「じゃあ、鍵を交換して、ウチに来なよ」
「え?」
「鍵を変えちゃえば、彼は大和くんの家に入れなくなる。だけど、それじゃあ玄関の前で待ち伏せされるかもしれない」
だったら、鍵を変えたうえで別のところへ身を寄せればいい。そう言って鍵師はメモを取り出し、ボールペンを走らせる。はい、と渡されたそれを見ると、そこには携帯電話の番号が書いてあった。
「今度からこっちに連絡頂戴」と言いながら、鍵師は優しく笑う。どうやらこれは、鍵師の個人の番号のようだ。
「逆恨みされて刺されるなんてよくある話だしね。彼と縁が切れるまで、僕の家に来ていいよ。部屋も余ってる」
「きゅ、急にそんな……」
「大和くんが彼にお金を渡す必要はない。その分貯金して、美味しいもの食べて、好きなことやった方が絶対いい。とにかく、身の安全を第一にね」
そりゃあ、そうだけど……。
知り合って間もない人に、こんなに頼ってしまうのはいかがなものだろうか。だけど地方から上京してきた為、親はもちろんのこと、他に頼れる人も居なかった。
助けて欲しい、でも、迷惑をかけたくない。返事ができずに困っていると、鍵師は「明日また連絡するから」と言って背を向ける。
じゃあねと言って去ろうとする鍵師の袖を、俺は「待って!」と追いかけるように掴んだ。
「どうして……こんなに優しくしてくれるんですか」
震える声でそう問う。すると鍵師は、俺が掴んだ袖をそっと振りほどき、その手でこちらの頭をぽんぽんと撫でた。
「人助けに、理由が必要かい?」
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