人に騙されやすい父の話

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 父は昔から騙されやすい人だった。人を疑うということを全く知らない人だった。  友人に騙されて、投資話で貯金を失ったことがある。兄弟に唆されて祖父母の財産の相続放棄もさせられた。父の友人が借金をする際の連帯保証人になったことで家を失ったことすらある。散々な目に遭ったにもかかわらず、父はそれでも一度信頼した人のことを最後まで信じ抜く人だった。  借金の連帯保証人になった時が一番悲惨だった。毎日のように借金返済の追い込みを掛けられた。自己破産ギリギリのところまでいったが、家を手放したことと母方の祖母の遺産のおかげでなんとか父の友人から被せられた借金を返しきることができた。その時のことはトラウマになっているのかあまり覚えていない。  母になぜ父と別れないのか尋ねたことがある。母は看護師で手に職があるし、父と別れても十分に生きていけると思ったのだ。いや、むしろ父と別れた方が幸せに生きていけるのではないかと思ったのだ。父が友人から受けた投資詐欺のせいで、母が結婚前に持っていた貯蓄は底をついたのだから。  母の返答は、思ったような物ではなかった。 「私はね、お父さんのああいうところの惚れちゃったのよね」  苦笑いを浮かべてそんなことを言った母に、割れ鍋に綴じ蓋とはこのことなのだななどという感想を持ったことを鮮明に覚えている。  僕は父のようにはなるまいという気持ちだけで、今日この日まで生きてきた。人は自分を裏切るものであると、そう思って生きてきた。甘い顔をして近づいてくる人間にはより一層の警戒心を持って接した。  それが理由かどうか知らないが、僕は恋人どころか友人と呼べる存在すらいないまま大人になった。  僕とは対照的に、父の周りにはいつでも人があふれていた。父はいつも楽しそうに友人の話をしていたが、僕には父が友人たちから食い物にされているようにしか見えなかった。中には本当に僕の母のように、父の実直なところを好いている人もいるのだろう。しかし僕からすれば、みんな同じように見えた。世の中全てが敵に見えた。もちろん、幼い僕に惨めな思いをさせた両親のことも。僕の味方は誰もいない。そう思っていた。  僕は高校を卒業して社会に出てから、ずっと家に寄りつかずに過ごしてきた。会社と家を往復するだけの生活が寂しくないわけではないが、誰かと関わりを持つことの怖さの方が買っていた。いつ裏切られるのか分からないのだから。  そんな日々を過ごしていたある日のことだった。会社の健康診断で、僕に大きな病気が見つかったのだ。絶望したことをよく覚えている。治療には多額の金が掛かり、また通院の関係で高校を卒業してから10年勤めた職も失った。会社の誰とも親しくしてこなかったので、誰も僕が退職に追い込まれた時に助けてくれなかった。僕は、真面目に働いてきたはずなのに。  失業しても、治療費は僕をあざ笑うように膨らんでいく。父が保険の契約でもめたことがあったので、僕は医療保険にも入っていなかった。貯蓄も底がみえてきた。ここまでして、生きる理由はあるのだろうか。そんなことも頭をよぎってきた。ずっと誰かに踏みつけにされる人生だった。いいことなんて何もなかったなあ。これも全部父さんのせいだ……。そこまで考えて、はたと気がつく。そうだ、父さんだ。  人にあれだけ騙されてもお金を出し続けた父さんなら、息子が困っていたら手を差し伸べてくれるはずだ。だって、僕は父さんの知り合いたちとは違って、騙すわけではないのだから。それにも僕は実の子どもだ。  10年間、一度も掛けなかった電話番号をスマホに打ち込んでいく。数字をひとつ打ち込む度に、父が騙されたエピソードがひとつづつよみがえってくる。いつも借金なんかに追われて、悲惨な幼少期だった。トラウマを乗り越えて、番号を打ち終えた。コール音がどこか遠く聞こえる。「はい」父の声だ。僕は口を開いた。 「父さん、僕だよ。渡だよ」 「……どちらの渡でしょうか」 「何言ってるの。父さんの息子の渡だよ。実は大腸がんになってしまって、治療費が……」 「息子は、俺に頼ってくるようなことはしない」  「本当なんだって!」という声は恐らく父には届かなかった。ツーツーという音がやけに耳障りだ。なんであれだけ人に騙され続けた父が、僕の言葉だけ信じてくれないの。  僕は幼少期のトラウマも乗り越えられないまま、新たな絶望とともに部屋にひとり取り残された。もう誰も助けてくれる人なんて誰もいない。父すらも。
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