音のない国

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 ***  編集長め、と私は腐りたくなる。どうしてこんな大事な情報を予め教えておいてくれなかったのかと。 ――そりゃ、私も下調べ足りてなかったけどさ!もしわかってたなら、もっと大量に筆談用のノートとか用意してきたってのに!  いわく。  この国は“音のない国”と呼ばれているというのだ。  というのも百年ほど前に疫病が流行し、全ての住人達の耳が聞こえなくなってしまったからである。同時に、彼らは言葉を話すこともできなくなってしまった。まあ、お互い耳が聞こえないのに喋ることができてもまったく意味はなかったのだろうが。  この原因不明の病は、後に生まれてくる子供達にも影響を及ぼした。子供達もまた、生まれつき耳が聞こえないという症状を患っていたのである。  病の正体は一切不明。というのも、何のウイルスも病原菌も患者たちからは見つからなかったのである。外国の医者に来て調べてもらったが、国民たちの耳にも喉にも異常はない。それなのに、音という音が一切聞こえず話せない。完全に、お手上げ状態になってしまったという。  よって、国交のある近隣諸国とは、完全にメールと筆談だけでやり取りすることになっているという。耳が聞こえないって辛いでしょう、と私が思わず尋ねれば、受付の女性は苦笑しつつ首を振ったのだった。 『外国の方からすればそうなんでしょうけど、私達はみんな生まれた時からこうですから。音がない世界が当たり前なんです。だから、不便だと思ったこともないし、辛いと感じたこともない人がほとんどだと思いますよ』  お役所の“音が鳴るランプ”のようなものは、あくまで外国から来た観光客や会社員のために設置されているという。あるいは、百年以上前に設置された設備には“まともな音”が出るものも少なくないようだ。  これは取材が大変だわ、と私はため息をついた。  工場がやたらめったら五月蠅かった理由がこれではっきりとわかったというのもある。彼等は自分達が一切音が聞こえないものだから、それに対して不愉快に感じることも不便に思うことも全くないのだろう。だから、騒音に無頓着なのである。私は仕方なく、雑貨屋で観光客向けのイヤーマフを買うことにしたのだった。やはりというべきか、観光客では音をシャットアウトできるための道具に需要があるのだという。  走る車の音。どたばたと走る足音。音に無頓着な人の町は、音楽がないのに雑音は非常に多い。  これが聴こえないのが彼らにとって当たり前というのが、なんとも不思議で仕方ない私なのだった。
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