音のない国

3/4
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
 ***  生まれついて音が聞こえないならそれはそれで幸せなのかもしれない。そう思っていた私が考えを覆したのは、翌日とある自動車工場の取材を行った時である。 『音に纏わる機能や設備なんかは、外国の企業に委託しないといけませんけどね。それ以外は、うちで全部作ってるんですよ』  老齢の工場長は、にこやかに私の取材に応じてくれた。 『例えばタイヤ。この国の北の方はかなりの豪雪になりますからね。雪でも滑らないタイヤの開発は急務でした。レースの時も、コースが凍りついてしまうなんてこともありましてね』 『コースが凍ってもレースを中止しないんですか?』 『その通り。北国にとって数少ない観光収入ですし、そもそも秋から春のはじめまでレースを中止するわけにはいきませんからね。うちの国のタイヤは特許を持っていまして、ただ滑りにくいだけではないんです。例えばここの溝が……』  こういう話を全て筆談にするのは、なかなか骨が折れることである。まあ、こちらでメモしなくても向こうが文章にしてくれるという意味ではありがたいのだが。  この国の人は筆談が生命線であるためか、誰も彼も字が非常に綺麗で読みやすかった。小学校に入る以前から、字の読み書きについてはかなり徹底的に教育されるものなのだという。彼らにとって、文字と語学力が意思の疎通を図る必須ツールであるからだ。 「あっ」  前のめりになった拍子に、ついイヤーマフがズレてしまった。途端、耳に入ってくる騒音が大きくなる。相変わらずでかい音だわ、と思いながらイヤーマフを戻そうとした時、私の聴覚は軋むような嫌な音を拾っていたのだった。  ぎぎぎぎぎぎぎ、と歯車に何かが挟まったような音。どこから聞こえるのだろう、と振り返った私はぎょっとさせられることになる。 「―――っ!――――!!」  つなぎを着た女性が、機械のローラーに腕を挟まれてもがいていた。さっきのは、衣服が巻き込まれる音であったのだ。 「危ない!こ、工場長さん、あの機械止めて!早く!」  私は思わず叫ぶが、工場長はきょとんとしている。とっさに声が届かないってなんて不便なんだろう!私は彼の腕を引っ張って現場に連れていった。そして、ノートに走り書きの文字を書いて叫ぶ。 「は、早く救急車呼んで!ほんと、何でこの国には電話がないのよっ!!」
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!