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エレナはサウスブルクの特産品であるベルパールの品質管理査察に出かけるため、朝の支度を整えた。ベルパールはウィステリア王国の重要産業であり、王国の仕事の一環でもあった。   エレナのメイド二人が協力して彼女を着替えさせ、その後彼女は朝食をとった。きらびやかな食器やカップは結婚の前祝いに国内外を問わず贈られてきたもので、エレナは日替わりで食卓を飾ることに楽しみにした。   部屋の扉がノックされ「エレナ様、よろしいでしょうか?」という男の声がする。 「いいわよ、入りなさい」   入ってきたのは、エレナ警護部隊に所属するソラ・リンウッドである。エレナの幼少の頃からヴァレンタイン家に仕えていて、エレナと同じ十八歳。子どもの頃はただの遊び相手に過ぎなかったが、十四才で大人の仲間入りをすると、エレナの身辺警護を命ぜられた。警護といってもエレナ自身はウィステリア王国最強と目される剣の使い手なので、ソラは主に雑用係といったところ。   「エレナ様、本日もチャールズ王子よりお手紙が届いております。仲睦まじそうで、なによりでございます」 「ありがとう。街を歩いていても気持ちがいいのよ。私を野蛮な女だとか結婚できないとか陰で言っていた連中が、すっかり黙ったんだから」 「ノーザーン伯爵家との比較は辛かったですよね。あそこの家は大量の持参金でベガ王国の公爵家にうまく取り入りました。お金ありきの縁談でしたから、エレナ様とは違います」 「ウィステリアの北の野蛮なやつらね。口に出すだけでもおぞましいわ。あんなのは国境で遊牧民と一生小競り合いをしていたらいいのよ。とにかく、チャールズ様と私はお金ではなく真実の愛で結ばれているわ」   エレナはソラから手紙を受け取ると、大事そうに机の引き出しにしまった。   「お読みにならないのですか?」ソラが訊くと、 「夜、ひとりでゆっくり読みたいの。今日は港へ査察に行かなければならないし。剣の準備はできてる? まずは朝の稽古をするわよ」   ソラはエレナの幼なじみであり、信頼できる仲間であった。二人はいくつかの冒険や試練を共に乗り越え、お互いの強みや弱みを知り尽くしていた。ソラは毎朝エレナに剣の指導を受けていて、天賦の才能は持ち合わせていないが、誰よりも実直に剣の修業を重ねている。 ソラが笛の名手であるという事実は、エレナを始めごく近しい人しか知らない。エレナはソラの笛の腕前を高く評価しており、その美しい音色を聞くことで心が癒されると感じていた。また、大人になるにつれ、彼が繊細で感受性豊かな一面を持っていることを知り、更に彼を信頼するようになった。いつどこで戦争が起こるかわからない時代においてはまず肉体的強さが求められるため、ソラ自身は人前で笛を吹こうとはしなかった。しかしエレナは彼の素直な性格と賢さが気に入り、よくサウスブルクにある森の中へ一緒に行った。エレナはソラに笛を吹かせ、その中で剣舞の練習をするのがお気に入りだった。   屋敷の中の稽古場でソラを打ちのめしたあと、エレナはアシェルという馬に軽快に飛び乗った。 「今日、ブラッチも空いてますよ。乗らなくて平気ですか?」  ぼこぼこになった顔でソラがエレナに尋ねると、 「乗らないわ。アシェルにする。あんたもブラッチが一番速いと思ってるわけ? 私が乗る馬はなんでも速くなるのよ」 「……そうですか、なるほど。アシェルは今週一回しか外で走っていないから、運動不足を懸念してエレナ様はアシェルをお乗りになるのですね」 「ふんっ……つまらない推測はいらないのよ。それよりも、警護隊があと二人くっついてくるんでしょ。チャールズ王子がよこしてきた新入りの二人。婚約すると本当にめんどくさいわね。さっさと呼んできなさい。馬にまともに乗れるのかわからないあの太っちょと、馬に蹴られると死にそうなガリガリを」 「ジョーンズとピケですね。かしこまりました」   エレナ一行は屋敷を出発して港へつながる街道を道なりに進む。街と街の間には田んぼや畑を手入れする領民、他国からの行商などが活気をもって働いている。 畑仕事をしていた領民がエレナに声をかけた。 「エレナ様、こんにちは! ご機嫌いかがですか。今日もお綺麗ですね」 エレナは愉快そうに笑い、張りのある声で返事をした。 「そんなことないわよ、でもありがとう。そういえば、前に届けてくれたジャガイモ、とても美味しかったわ。シチューに入れて食べたの。これからも美味しいものを作ってね!」 エレナは裏表のない態度を好んだ。剣の腕や豪快な噂ばかりが先行して誤解されることもあったが、領民との会話を大切にし、心から彼らの悩みや喜びに共感していた。それに彼女は領民との距離を縮めるために、自分の時間を割いて彼らの日常生活に関心を持ち、助け合いの精神を大切にしていた。時には言い合ったり喧嘩をしたりしたものの、かえってその分け隔てのない性格が領民に愛されている。   「ねえ、ソラ、あの人たちって見ない顔よね」 エレナはどことなく不審な数人の男たちを見つけた。 「そうですね、行商人のようではありますが」 「あんたも見たことないのね。ジョーンズとピケ、あの人たちのところへ行って、何で突っ立っているのか聞いてきなさい」 ジョーンズとピケは馬から降りて「へい、わかりやした!」と言い、不審な男たちのほうへ近づき話しかけた。 不審な男たちは袋を取り出して中身をジョーンズとピケに見せている。彼らは雑談をしているようで、なごやかな雰囲気だった。 ジョーンズとピケがエレナのもとへ帰ってきて、報告した。 「申し上げてもよいですかねえ?」ジョーンズは顔を輝かせながら言った。「やつらは最近ベルパールの行商の資格をとったやつらだそうですぜ。資格証も見せてもらいました。ベルパールのことを絶賛しておりやしたぜ。ウィステリアで一番の土産だって」 ジョーンズは両手でカードの形を模した動きを一生懸命に見せてこう言った。 続けてピケは、みぞおちまであろうかという細長い髭をさすりながら、 「港からベルパールを買って、これからバナーム王国に帰るところだったそうですぜ。たくさんベルパールを持ってました。そんで今、道に迷ってしまったとのことでしたわい。ちゃんと帰り道を教えてやりましたよ、褒めてくだせい」 ヘラヘラしながら報告するピケに対して、エレナは剣の鞘でピケの頭頂部をゴツンと叩いた。 「なにがおかしいのよ、気持ち悪い。さて……バナームのやつらなんて珍しいわね、ソラ」 「ですね。ベルパールをたくさん持っているというのも気になります。バナームは最近国力を上げてきている新興国家ですが、あんな身なりの行商に買えるとは思えません」 「舞踏会に行くと他国の人でもみんなベルパールの飾りをつけてるもんね。あんな真珠の玉をありがたがる気持ちが私にはわからないんだけど……。まあいいや、念のため私も直接話してみるわ」   エレナはアシェルに乗ったまま男たちに近づいた。エレナがアシェルから降りて睨んでも、男たちは動揺することなくただ茶色の革フードを目深にかぶるだけで、至って平然としている。 「あんたたち、バナームから来たそうね。私はウィステリア王国サウスブルク領を治めるダスタン・ヴァレンタイン辺境伯の娘、エレナです。行商の資格は持っているそうだけど、ちょっとベルパールを見せてもらってもいいかしら? どのくらい買ったの?」 リーダー格を務めているのであろう男が、エレナに深く頭を下げて挨拶した。そしてベルパールが入った袋を差し出した。 「辺境伯ご令嬢様にご挨拶たまわりまして、恐悦至極でございます。歴史あるウィステリア王国にこうして立ち寄れているだけでも幸せでございます」 「体裁は気にしなくていいわ。バナーム王国もまだできたばかりの国家なのに、力をつけ始めているそうね」 「バナーム王国などウィステリアに比べると弱小でございます。人のいなさそうな土地に行っては領土ばかり拡大しているため、叩けば埃が出るありさまです」   エレナは差し出されたベルパールを検分し、その輝きに目を細めた。彼女はすぐに馬上にいたソラにベルパールの袋を投げた。 「あんたも見てみなさい。久しぶりにちゃんと見たけど綺麗ね。さすがうちで作っているだけあるわ」 ソラは袋を掴んだ。馬から降りてベルパールを一個取り出し、太陽にかざした。爽やかな太陽と対照的に、ソラの顔色はみるみるうちに悪くなり、別の一個を取り出しては戻すことを繰り返した。 「ソラ? どうかした?」 「エレナ様……このベルパールは偽物です! お気をつけください!」 ソラが叫んだ瞬間、不審な男たちが一斉に剣を抜き、一人がエレナに剣を振るった。その表情は殺気立っており、状況が一変した。エレナは素早く横に跳び、男の剣をかわした。残りの三人もエレナを囲むようにして移動した。エレナは斬りかかってきた男たちの剣をかわした。一ミリでも切っ先との空間があればよい。エレナの動体視力にとって、普通の賊が振るう剣など問題にならなかった。それよりも、自分が偽物のベルパールを見抜けなかった不甲斐なさが襲ってきた。 (ソラが言うなら間違いないのだろうけど……) 自分が情けないとつらつら考えながら、男たちの剣をかわすエレナだった。 「おい、こいつぁだめだ!」   エレナに敵わないと察した男たちは息を切らした。次に彼らはソラ、ジョーンズ、ピケの三人に標的を変えたが、エレナは逆にその事態をまずいと考えた。 「だめ! ジョーンズ! ピケ! この人たちを殺さないで! 捕えて!」 エレナが焦りを隠せずに叫んだが、ジョーンズとピケは相変わらずのアホ面で聞こえておらず、賊の男たちを殺してしまった。リーダー格の男はエレナたちが気を取られている隙に、ピケの乗ってきた馬を素早く奪い、逃げ去った。   「エレナ様、私が追いかけます」と、ソラも素早く馬にまたがり、後ろを振り返った。 しかし、エレナはソラを止めた。 「いや、もう追わなくていいわ。それよりも……仕留めてしまったこの三人の処理をなさい」 エレナの命を受けたソラは、倒れた三人の下に広がる血だまりを見た。   ソラの手にある偽物のベルパールには、男たちの血しぶきが飛び散っていた。その血の赤黒さが、偽物のベルパールをいっそう白く不気味に輝かせていた。
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