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「天使には翼があるものでしょう。あの子にはありません」
馬鹿らしい発言だが、この位しか私には言うことが出来なかった。
大恩ある主に対し、正気を疑うような事を口にするのは憚られたからだ。
「いずれ大人になれば羽化するやもしれぬ。だからああして鳥籠に閉じ込めておる」
ぞくりと背筋が冷える。
仮にも長く病院長という地位に居た方の言葉とは思えない。
主は私の目をしっかりとご覧になって、好々爺とした笑みを浮かべている。
ああ、喉が渇く。
これ以上聞いてはいけないと心のどこかが警鐘を鳴らす。
気付きたくない、気付いてはいけないのに……私は尋ねずにはいられなかった。
「あの子の……戸籍はどうなっているのですか?」
「天使に戸籍など必要だと思っているのか? あの子は死産したことになっておる」
その言葉に、その声に、その眼光に潜んでいたのは狂気ではない。
狂気によく似た執着だ。
この方は人と違った、特別に美しい子どもを手に入れたかっただけだ。
人と違うものが、義文さまのお好みなのだから。
「言葉を……教えてはいないのですか」
「天使に人の言葉は不要だろう。いずれ天使の言葉で囀るに決まっておる」
嘘だ。
何も教えず、誰にも会わさず、自分に反抗する知識を一切与えずに当たり前のこととしてあの檻に閉じ込めるつもりではないのか。
頭ではわかっている。
これは児童虐待であり、正気の沙汰ではない。
しかし命を救われ、学費や生活費を援助してもらい、あまつさえ仕事まで……大恩ある主人に逆らう事は出来ない。
今仕事を失えば、次の仕事を見つけるのは難しいだろう。
物忘れの激しくなった父を預けている療養ホームも、義文さまの口利きで特別に割安で利用させていただいている。
私は……泥水でも飲み込むような気持ちでそのまま口を噤んだ。
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