お迎えみたい

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お迎えみたい

 細長いダンボール箱を開けると、新品独特の匂いがした。丸くカーブしている柄を握り、持ち上げる。留め具を外し真新しい傘を開いた。 「かわいい……写真通りで良かった」  部屋の中で傘を広げているのは不思議な感じがする。くすんだベージュに水色の花がプリントされている傘はネットで見つけて一目惚れした物だった。  いつから使おうかとスマホで一週間の天気をチェックする。すると明日の日付に傘マークが付いていた。 「明日午後から雨かぁ。さっそく使おうかな」  いつもだったらげんなりする傘マークも、今回はうきうきとした気持ちを連れてくる。憂鬱な出勤さえも少しだけ楽しみになっていた。 「うわ……完全に忘れてた」  駅から出ると、大粒の雨。駅前のロータリーにはたくさんの車が並び、道行く人々は傘をさしている。  昨日予報を確認したのに家を出る時には降っていなかったから傘を忘れてしまった。同じような人が多いのか、屋根の下に留まっている人たちは傘を手にしていない。 「通りまーす」 「あ、すみません」  後ろから声が聞こえて急いで人を避ける。とりあえず邪魔にならないよう壁沿いに移動した。  マンションまで歩いて十分。コンビニで傘を買うか、タクシーに乗るか。タクシー乗り場を見れば人が列を作っている。  コンビニで傘を買って歩いた方が早そうだけど、新しい傘を買ったばかりでまた買うのは避けたかった。  まだ降りやみそうにないしタクシーの列に並ぼうかと足を踏み出す。その瞬間、こんな所で聞こえるはずのない声に名前を呼ばれた。 「あぁ良かった、こちらでしたか、池田様」 「え……乙部さん?」  シワのない上品なスーツ。人々が忙しなく行き交う駅で、乙部さんだけが柔らかく微笑んでいた。  たたずまいの上品さと端正な顔が目立っていて、見慣れている駅に非日常を生み出している。ぼうっとしている私のそばまで乙部さんは近づいてきた。 「そろそろお帰りかと思いまして」 「ちょうどさっき着いたんです。でも傘を忘れちゃって……」 「もしかしたらお困りかと思い、お持ちしました」 「え、傘をですか?」 「はい、傘を」  持ち上げられた手には一本の傘があった。黒い傘は綺麗で使い古したようには見えない。柄にマンション名が書かれたシールを見つけ、貸し出し用の傘なのだとわかった。 「もしかして、わざわざ私のために来てくれたんですか……?」 「はい……やはり差し出がましい真似だったでしょうか」 「いえ! いや、あの、なんていうか」  お迎えみたいで嬉しい。そう口にしようとして慌ててやめる。雨の中歩かせてしまったのに嬉しいなんて言ったらいけない気がするし、乙部さんは仕事の一環として来てくれただけだ。  そうは思っても、普段誰かが迎えに来てくれることなんてないから、私のために駅まで来てくれたのだと思うと嬉しさや喜びが込み上げてきた。  にやけてしまいそうな口元を急いで引き締める。いつの間にか傘を忘れた落ち込みも吹き飛んでいた。 「た、助かりました! 本当に、ありがとうございます」 「いえ、すれ違いにならず良かったです」  言いかけていたものとは違うことを口にしたけど誤魔化せたらしい。乙部さんは安堵したように笑った。 「どうぞお使いください」 「ありがとうございます、これで帰れます」 「ご迷惑でなければ、マンションまでご一緒してもよろしいでしょうか?」 「あ、はい、もちろん! 帰りましょうか」  乙部さんから黒い傘を受け取る。思いがけない展開に緊張しながらも傘をさし、駅の外へ出た。  至って普通の傘なのに、私のために届けて貰えた物だと思うと、特別に思える。乙部さんも自分の傘をさし、私の隣を歩いた。  当たり前のように車道側を歩き、私に合わせてゆっくり足を進める彼に、さすがだなぁと感心する。  どこまでがコンシェルジュとしての振る無いで、どこからが彼の優しさなのだろう。 「寒くはありませんか?」 「あ、はい、大丈夫です」  傘を打ち付ける雨音にかき消されそうで、自然と距離が近づく。無言だと緊張が伝わってしまう気がして、急いで話題を探した。 「でもよく私が傘を忘れたことわかりましたね。今日は乙部さんと会ってないですよね……?」  だいたいいつも朝は乙部さんに「行ってらっしゃいませ」と送り出されるが、今朝はタイミングが合わず無人のデスクを通り過ぎた。だから私が傘を持っていないことを乙部さんは知らないはず。 「……以前、雨の日によく傘をお忘れになると仰っていたので」 「あれ、私そんなこと言いましたっけ?」  ここ数週間のことを思い出してみる。乙部さんと挨拶以外の言葉を交わしたこと自体まだ少ないから、そんな会話をしていたら覚えていそうなのに。 「……池田様、そちらに水たまりが」 「あ、ほんとだ。ありがとうございます」  数歩先に大きな水たまりができていた。傘と雨で視界が悪く、乙部さんに教えて貰えなければさけられなかっただろう。また乙部さんに助けられ、パンプスの中が水浸しにならずに済む。 「今日の雨は大粒ですね。明日の朝にはやむといいのですが」 「そうですね……」  いつの間にか会話は傘から雨のことに変わっている。どこかはぐらかされた感じがして乙部さんを窺えば、いつもと同じ微笑みがあった。彼の落ち着きを見て、私の考えすぎかと思う。  そんなにこだわることでもないし、ハッキリ答えを出さなくてもいいだろう。雨音を聞いているうちにささいな違和感も消えていく。  そのまま穏やかに話す乙部さんに私も言葉を返しながら、雨の中をふたりで歩いた。
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