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魔王の娘は人間になりたい
火炎王ファーレンテインが魔物の頂点、魔王として君臨していた頃。ファーレンテインの一人娘であるリーフェは、魔王領の中心に建つ魔王城の一室で、窓枠に前脚をかけながらため息をついていた。
「はぁ……」
炎狼であるリーフェの大きな口から、火の粉混じりのため息が漏れる。その視線は、濃密な魔力の渦巻く空へと向けられていた。
「ベルナルド様……貴方を想うとこんなにも胸が苦しい……」
リーフェが名前を口に出すのは、ベルナルド・アンテレイニという青年の名だ。名前からも明らかなように、人間の青年である。そしてリーフェは、種族からも明らかな通り魔物である。
しかし恋心が抑えられず、また一つため息をつくリーフェの後ろで部屋の扉が開いた。山羊の頭部をもつ悪魔にして火炎王ファーレンテインの側近兼執事、ステフェンが部屋に入りながら言ってくる。
「リーフェ様、また恋煩いにお悩まされですか」
「ステフェン」
名前を呼ばれたリーフェは、窓枠に前脚をかけたまま振り返って言った。その瞳には微かに、批判の色が見て取れる。
「いいじゃない、私だって年頃の娘なのよ。殿方に恋焦がれて、悪い事なんて無いわ」
「仰る通りでございます」
リーフェの物言いにステフェンも頭を下げる。しかし彼も彼で、困ったように目じりを下げながらリーフェに告げた。
「しかし、立場をお考えになってください。貴女様は魔物で、彼奴は人間。おまけに貴女様は魔王の一人娘で、彼奴は憎き勇者の仲間なのですぞ」
そう、リーフェの恋焦がれる相手が普通の市井の人間か、あるいは特別な立場にない冒険者だったら、もしくはリーフェ自身が一般の魔物だったら。ステフェンもここまで厳しいことは言わないだろう。
しかしベルナルド・アンテレイニはガンビーノ王国の国家認定勇者、アンジェロ・ジャコビの仲間なのだ。そしてリーフェは都合の悪いことに、勇者に倒される運命にある火炎王ファーレンテインの娘という立場。
人間と魔物のカップルというだけでも、魔王やその周囲からの批判は免れないというのに、勇者パーティーの一員と魔王の娘のカップル。それは、多方面からの批判もやむなしと言ったところだろう。
しかしリーフェは諦められない様子で、ゆるゆると首を振りながら返した。
「分かっているわ。でも私は、あの方に一目惚れしてしまったんだもの」
「はぁ……陛下になんとお話すればよろしいのやら」
リーフェの言葉に、ステフェンも力なく頭を振る。本当に、人間に敵対する魔王の娘としてあるまじき発言だ。
そしてリーフェは、父王ファーレンテインが聞いたら頭を抱えて呻きそうなことを言いだした。
「ねえ、ステフェン。私はメイドのアンナから聞いたことがあるわ。魔物には、人間に姿を変えるスキルがあるって」
その言葉に、ステフェンは深くため息をついた。メイドのアンナもまた、余計なことをこの娘に吹き込んでくれたものだと思う。
しかし、事実は事実。ステフェンはこくりと頷いた。
「確かに」
「本当なのね?」
敬愛する執事の言葉に、色めき立つリーフェである。
魔物や、魔物に類する見た目をした面々が、人間らしい姿に変化するためのスキルは、確かに存在する。しかしそれは「人間との間に無駄な軋轢を生まない」ためのスキルであって、「人間と恋仲になる」ために使うスキルではないのだが。
魔王軍の一員としての戦略的観点から、このスキルを身に付けていたステフェンが、さっと姿を変えてみせる。
「ございます。『人化転身』と申しまして、身体の構造を変化させ、人間に近づくスキルです。あなたのお父上も私も、人間界に潜入し情報を引き出すため、身に付けてございます。このように」
「わぁ……!」
一瞬のうちに角も翼も蹄も消し、初老の人間男性に転身してみせたステフェンの姿に、リーフェが上ずった声を上げた。
見る人間が見れば、きっとおや、と思ったことだろう。世界各国、あちらこちらの国に姿を見せ、出入りの商人として物品を売り買いしてきた男性の姿だ。もちろんこの姿で商人ギルドへの登録も行われている。登録先のカルミナティ王国の人間も、彼がまさか現魔王の側近とは夢にも思っていないだろう。
ここまで、完璧な転身を行える存在が間近にいることに、リーフェはいたく感動した。しかしそのステフェン当人からの反応はよろしくない。
「ですが、よろしいですか? 『人化転身』によって全くの人間に姿を変えるには、並々ならぬ訓練を必要といたします。これに熟練した魔物であっても、耳や尻尾を隠せるところまで到れるのはほんの一握り。獣人化すらままならないリーフェ様には、どだい無理な話でございましょう」
「うぐっ」
ステフェンの厳しい言葉に、リーフェは呻き、尻尾を後ろ脚の間に挟みこんだ。魔王の娘という立場でありながら、今まで「人化転身」の存在を知らされていなかったリーフェだ。魔物の中でも上手く扱える者は多くないとされる難易度の高いスキルである故に、一朝一夕に身につけられるものではない。
しかし今となっては、リーフェの頼みの綱はこのスキルを身につけ、人間としてベルナルドと恋仲になる以外にないのだ。もう一度ため息をつき、前脚の間に鼻を挟みながら漏らす。
「はぁ……どうしたらいいのかしら。私が『人化転身』を完璧に身につけるまで、あの方が魔王城に攻め込んで来なければいいのだけれど」
落胆しながら呟くリーフェを、「人化転身」を解いたステフェンは口をへの字に曲げながら見つめた。しばらくの沈黙ののち、すんすん鼻を鳴らして泣くリーフェの前にスッと身を屈めて言う。
「そんなにも、あの冒険者と結ばれたいのですか、リーフェ様」
「もちろんよ」
ステフェンの問いかけに、リーフェは即答した。先程まで泣いていたとは思えないくらい、強い光を湛えた瞳で言う。
「何なら、この城を追い出されたって構わない。お父様やステフェンや、アンナと二度と会えなくなったとしても、後悔はないわ」
リーフェの発言にステフェンは目を見開いた。それほどまで、強い決意があるというのなら話が違ってくる。
「はぁ……仕方がありませんね」
そう言葉を零しながらステフェンは、そっとリーフェの前脚を取った。軽く持ち上げて脚を手の上に乗せながら、うっすらと微笑んで言う。
「特訓いたしましょう、リーフェ様。貴女様のその決意、このステフェン、確かに受け取りました」
「ありがとう! 早速やりましょう!」
ステフェンの言葉にリーフェはすぐさま立ち上がり、目を輝かせた。よほどやる気に溢れているようだ。
そこからリーフェとステフェンの猛特訓が始まる。朝早くから夜遅くまで、ステフェンの業務の合間を縫って行われる一対一の特訓。ステフェンの業務中は役目を引き継いだアンナが監督し、リーフェに一日も早く「人化転身」を身につけてもらうべく指導する。
とはいえ最初はもちろん、上手くいかないことのほうが多かった。何しろ魔物には習得難易度の高いスキルである。
「んむむむう……!」
「身体が崩れてございますよ! もっと後ろ脚に重心を乗せて、後ろ足だけで地面を掴む感じで!」
苦戦するリーフェに、ステフェンの厳しい声が飛ぶことも少なくなかった。そうして訓練に訓練を重ねることおよそ半月が経った日の夜。リーフェの自室には、ずんぐりむっくりした姿ながらも後ろ足二本で立ってみせる、狼獣人っぽい姿に転身したリーフェの姿があった。
「んむっ……! どう!?」
「ふむ、以前よりは上達いたしましたね。巨大な子犬人のようではありますが、及第点でしょう」
嬉しそうに胸を張るリーフェに、ステフェンもこくりと頷いた。嬉しさに飛び上がるリーフェを制しながら、ステフェンはなおも声をかける。
「ここからは腕と脚を人間同様に長く伸ばし、胴を短くする段階でございます。身体の余計な肉と皮を削ぎ落とすように――」
獣人の身体に近づけていくところだ、と口にしようとしたところで、ステフェンの後方で扉が勢いよく開く。飛び込んできたのは猫の獣人、メイドのアンナだ。
「ステフェン様! こちらにいらっしゃいましたか!」
「むっ」
飛び込んできたアンナは息が荒い。手には剣も握られていた。明らかに戦闘の装いだ。そしてアンナは大声で発する。
「勇者どもが魔王城に突入してきました! じきに魔王様との戦闘に入ります!」
「えっ!?」
アンナの鬼気迫った声にリーフェが驚きの声を上げた。
ついに、勇者たちが魔王討伐のためにやってきたのか。ということは、愛するベルナルド・アンテレイニも共に。
ステフェンが小さくため息をつき、手のホコリを払いながらこぼす。
「とうとう来ましたか。存外時間がありませんでしたが、ここまで出来たのなら良しといたしましょう」
「えっ、でも」
ステフェンの発言にリーフェは戸惑った。まだ中途半端も中途半端、まともな獣人姿すら取れるようにはなっていない。こんな巨大な小動物のような姿で、愛する人にどうして顔を見せられるだろう。
しかしステフェンは、戸惑うリーフェの肩に手を置きながらそっと声をかけた。
「リーフェ様」
その声色はとても優しい。落ち着かせるように、ステフェンはリーフェに告げた。
「想う相手と全く同じになる必要性などないのですよ」
「え……」
そこから、リーフェにステフェンはあれこれと言葉をかけていく。人間が人間と恋仲になるときはどんな流れを踏んでいくか、どういう姿を見せれば相手に好意的に見てもらえるか、などなど。
そうしてあれこれと言い含めたところで、ステフェンがすっかり静かになった部屋の外を見て話す。
「そろそろ頃合いでしょうか。参りましょう。転身は維持したままで」
「え、ええ……」
リーフェに手を差し伸べ、城の廊下へと出ていくステフェン。リーフェはおっかなびっくり、慣れない二足歩行に戸惑いながらも後をついていった。
既に勇者たちが魔王城に突入してからだいぶ経つ。場内の魔物も無用な戦闘は不要、と持ち場に戻っているようだ。既に勇者対魔王の戦闘は、だいぶ進んでいるだろう。
道中で魔王討伐隊の冒険者と出くわすこともなく、リーフェとステフェンは玉座の間の前までやってきた。中では戦闘が佳境のようで、勇者アンジェロの力強い声が聞こえてくる。
「お前の命運もこれまでだ、火炎王ファーレンテイン!」
「命を落とす覚悟を決めることだな!」
冒険者達も口々に、風前の灯となった火炎王ファーレンテインに強い言葉をぶつけている。扉の隙間から中を覗き見ると、既にファーレンテインは息も絶え絶えと言った様子だ。
「ぐ、お……! 貴様ら……!」
吠え声を漏らしながら、なおも立ち上がろうとするファーレンテイン。しかしその四本の脚はずたずたに傷つけられ、額から夥しい血が流れ出していた。もはや、すぐに命を落とすだろう。
だがリーフェの瞳は、後衛でファーレンテインに杖を向け、魔法を詠唱するベルナルドに釘付けだった。何しろこんなに近くで姿を見るのが初めてなのだ。
「ベルナルド様……かっこいい……」
「やれやれ、自分の父が死に瀕していると申しますのに」
ほうと息を吐くリーフェに、呆れた様子でステフェンが呟いた。自分の父の瀕死より、愛する人間の姿に見惚れるとは、親不孝な娘もいたものである。
果たして、冒険者達の武器が、魔法が、ファーレンテインの身体に殺到した。残り僅かな命を削られたファーレンテインが大きく目を見開く。と、ほんの一瞬、ファーレンテインの瞳が、扉から覗き見るリーフェに向いた。
「お、オ――!!」
「あっ」
微かに、ずたずたになった前脚が扉に伸ばされる。しかし、その手は届かないまま、どうと玉座の間に落ちた。
「オ……!!」
最期に一声、吠え声を発したファーレンテインの瞳から、命の光が消える。同時に胸元の怪しく輝く魔石も力を失い、カランと乾いた音を立てて床に落ちた。
「や……」
「やったか……!?」
勇者も、仲間も、他の冒険者も、武器を構えたまま倒れるファーレンテインの死体を見つめる。ここに、魔王討伐は成されたわけだ。ステフェンが小さく呟く。
「お見事」
「お父様……」
リーフェも、さすがの父親の死の場面に、言葉を禁じえない。と、周囲に視線を向けて気配を探っていた勇者アンジェロが、ベルナルドへと声を飛ばす。
「ベルナルド」
「ああ、アンジェロ」
ベルナルドもすぐさまに頷いた。そして険しい表情のまま振り返り、杖を玉座の間の扉に突きつけながら言い放つ。
「そこにいるな?」
「うっ」
扉のすぐ向こうにいることを言い当てられ、リーフェが僅かにたじろぐ。しかしステフェンは臆することなく扉を開き、先程まで戦闘が行われていた玉座の間に踏み込んだ。
彼は驚いた様子も、ひるんだ様子もなかった。元より魔王が討伐されたら、側近が戦後処理に当たるのは常の流れだ。
「さすが、お分かりでしたようで」
「ファーレンテインの最後の視線で、扉の向こうに誰かがいるのは分かっていた。お前は魔王の側近か?」
厳しい口調で話しかけてくるベルナルドに、ステフェンはこくりと頷く。自分の後ろにそろりとついてきたリーフェが、自分の両肩に手をかけて隠れるのも気にせずに一礼する。
「その通り、ステフェンと申します。火炎王ファーレンテイン討伐の成功、誠におめでとうございます」
ステフェンの言葉に冒険者達も、敵意を失った様子で各々武器を下ろす。ここからは魔王討伐の報酬やら、彼らが魔王領を出た後の段取りやらを話すのだが、しかしアンジェロが厳しい視線を隠さない。
「ああ……それで」
その視線は、ステフェンの後ろ。リーフェに向けられていた。彼が強い口調で言葉をぶつける。
「あんたの後ろにいるその子はなんだ」
「ひぅっ」
アンジェロの冷たい視線にリーフェが小さく飛び上がった。そんなリーフェを自分の横に立たせながら、ステフェンは苦笑をしつつ説明する。
「ファーレンテインの一人娘、炎狼のリーフェにございます。『人化転身』が不得手でございますゆえ、斯様なお姿を晒しますこと、ご容赦ください」
リーフェの毛皮に覆われた姿を見て、主に女性冒険者たちが目の色を変えた。男性冒険者もある程度愛想を崩して、リーフェの姿をしげしげと見つめている。
視線が集まり、恥ずかしそうにしているリーフェを見ながら、目を見開くのはベルナルドだ。
「娘?」
「そんな子が、なんでここに」
アンジェロも一緒になって首を傾げる。本来なら、この場にいる必要などない存在なのだ。
魔王軍の生き残りや倒された魔王の親族は、次の魔王が就任するまでは魔王領で静かに暮らすか、次の魔王選出に向けて腕を磨くのが通例だ。この場に出てくる必要など、本来ならリーフェにはない。
と、首をひねるベルナルドにステフェンが手招きする。
「『真紅の鮫』ベルナルド・アンテレイニ様、お耳をお貸しいただいても」
「え、僕?」
声をかけられ、手招きをされたベルナルドの耳に、ステフェンが小声で話しかける。果たして、事態を把握したベルナルドは目を見開いて問い返した。
「本当に?」
「はい。さ、リーフェ様」
にっこりと笑ったステフェンの手が、リーフェに触れる。この日のために人間語は流暢に喋れるようになるまで練習してきたのだ。もじもじしながらも、リーフェはベルナルドの前に立つ。
「あ、う……あの……」
口ごもるリーフェを、冒険者全員が見つめている。ベルナルドも間近で見つめている。
頬を真っ赤に染めながら、リーフェはぎゅっと目をつむって口を開いた。
「ず、ずっと前から貴方のことが好きでした!! 私、魔物ですし、人間にもまだなれないですけれど……その……」
吐き出した告白の言葉。魔物から人間に為されるその告白を、皆が暖かく見守っている。その事実が、ますますリーフェの顔を紅潮させた。
「と、友達に、なってくれません、か……?」
最後の言葉は消え入るようだった。この場で武器を落とすものがいたなら、その音にかき消されてしまうくらいだ。あまりにもみっともないと感じたのか、リーフェは目に涙を浮かべていた。
「ぴぇ」
「よく仰れましたね、頑張りました」
リーフェの背中を、ステフェンが優しくさする。他の冒険者達も我慢の限界が来たのか、リーフェの手を取って握手したり、リーフェの毛皮に手を突っ込んだり。
もみくちゃにされるリーフェの前で、ベルナルドが困ったように頬をかいた。
「あー、まぁ、えっと」
口を開いたベルナルドに視線が集まる。するとベルナルドは、数歩歩み寄ってリーフェの手を取った。
「友達からなら、いいよ。君、可愛いし」
「ぴぇっ!?」
その言葉にリーフェは、文字通り飛び上がりそうになった。
友達からなら。その言葉の意味をリーフェは知っている。嬉しくなってもう片方の手で、ベルナルドの手を包み込んだ。
「あ、ありがとうございます……! 頑張って、人間に化けれるまで練習します!」
「うん、頑張って」
そうして交わされる握手。この先もっと訓練を積めば、人間らしく長い指のある手で握手も出来るだろう。そうすれば、人間界で一緒に行動することも夢ではない。
わっと冒険者達に取り囲まれるリーフェに、ステフェンがそっと近づいて耳打ちした。
「ね? リーフェ様、申し上げたとおりでしょう」
「う、うん……!」
ステフェンの言葉にリーフェも嬉しそうに頷く。そして冒険者達は魔王城外のキャンプで行われた祝勝会にリーフェやステフェンを招き、盛大に二人の行く末を祝福したのだった。
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