23人が本棚に入れています
本棚に追加
はじめてなの
駅から徒歩10分。大通りから一本外れた道沿いにその建物はある。五階建て。外観は良く言えばアンティーク調。入り口は半分壁に遮られ、人が出入りする姿が他からは見えにくい。
メニュー表のような看板には三項目に分かれた料金プラン。サービスタイム、休憩、宿泊。私はその建物から十m離れた場所で、履歴書を手に呆然と立ち尽くしていた。
今年の春から栄養士を目指して短大に入学した私は、ようやくバイトという名の小遣い稼ぎを親から許された身となっていた。実家暮らしのアルバイトなんてあまちゃんである。高校の頃からバイトに励む若者に比べれば、世間知らずのバイト未経験の女学生なんて、その当時は面接で落とされる事も意外とあった。さらに付け加えるなら、初めてのバイトはどうせなら珍しいところ、なんていう凝り固まったこだわりをもっていた私は、動物園のイベントスタッフや映画館のチケットのもぎり等、珍しいバイトばかりに応募していた。しかし、私のような短時間しか働けず、無駄に交通費まで支払わなければならないとなると見向きもされない。そろそろ採用されたいところだったが、今日の四回目のバイト面接も何だか怪しかった。
それにしても今日の面接先。バイト情報紙には『ホテルの客室清掃』とあったはず。学校帰りの途中下車で行けるので
交通費はプール出来るし、募集時間帯も十七時から二十時までの三時間。簡単な室内の掃除とベットメイキングだから、初めての方も大歓迎と謳われていた。ホテルの掃除といったらチェックアウト後の午前中が主だと思っていたが、こんな時間帯もあるのだと都合のいいように解釈していたのが正にバイト初心者である。今私の目の前にそびえる建物は間違いなく男女の密会の部屋の塊。人によってはお世話になる事は多々あるだろうけど、私は勿論まだ無い。この先は……わからない。わかったのはここがラブホという事だけ。
さて、どうする?面接の予約を入れてしまっている。やめる?帰る?キャンセルの電話は?三歩ほど駅の方に向かっては立ち止まり、またホテル前に戻りまた向かいを繰り返した。端から見ると、ホテルに入る相手と待ち合わせをしているが、中々現れないのでイラつく彼女、みたいな。
はぁっとため息をついてふと空を見上げる。このまま帰ってもバイト中々決まらないだろうしな。面接に何で来ないの?とか連絡がきたりするんだろうか。いや、まてよ。もしかしたらラブホ風の立派な普通のホテルかもしれない……と無理にねじ曲げた思考修正をして、私はくるりと向きを変えた。誰も近くを通らないのを探偵のごとく確認してから、正面の壁をぐるりと回って中をのぞいてみる。うん、自動ドアだ。あそこ以外入る方法は無さそう。そうっと自動ドアに近づくと、ウインとドアが開く。私が固まっているとドアはすぐに閉まってしまった。そうこうしていると、壁の向こうの道路をコツコツと歩く音が聞こえてくる。私は慌てて自動ドアのセンサーに手をかざして、ささっと侵入した。
何の匂いだろう。古びた家具や絨毯のようなしっとりと重々しい匂い。建物外観のアンティーク調そのままの内装だった。えんじ色の絨毯が真っ直ぐな通路の奥まで敷かれ、壁紙は白というか、白熱灯のせいでうす橙色に見える。手前には黒光りする木製の椅子が二脚、ガラスのテーブルを間に挟んで置かれていた。観葉植物は近寄るとフェイクだった。何だか薄暗く感じるのは窓が全くないせいだとわかる。
「お客様?」
突然どこかから声がしたので、私は思わずのけぞり唾をごくんと飲み込む。声が聞こえたような気がする方向に目を向けると、左手の壁に小さな小窓と、カウンターのような張り出し部分があるだけだった。恐る恐る近づいてのぞいてみると、中で誰かがこちらの様子をうかがっている。
私は口に手を被せながら
「あ、あの、お客ではなくてですね、えっと、四時から面接の予約を入れてた者ですけど」
ここはラブホテルですよね?なんて間抜けな質問は出来ない雰囲気だった。
「そちら右手のドアから中に入って下さい」
見るとすぐ右手にドアノブがちょこんと突き出していた。カチャリとノブを回してそうっとドアを押す。そこには一人の男がソファに体を沈めてこちらを見ていた。
最初のコメントを投稿しよう!