義母たちに打ち勝つ方法

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 義理の母親と世間が呼ぶ存在は何であれ、この私と良好な関係を築いてくれたためしがない。何なんだ、あいつらは? 毒虫か? 病原体か? 巨大な生ゴミかつ粗大ゴミであるのは間違いないが、毒性のひどさではダイオキシンあるいは放射性廃棄物の方が仲間と呼ぶにふさわしいだろう。いや、化学物質も放射性物質も時の流れが止まらない限り、いずれは消滅する運命が待っているはずなのだが、義母は違う。その数を増やし続けるのだ、永久に! 増殖するところなんて、まるで宇宙のガンだと断じても過言ではない。いや、もうさ、あれはマジで何なのよ!  あまりにも頭に来たので、十数頭の牛を生贄に捧げた代わりに嫁ぎ先まで空飛ぶ円盤に来てもらい義理の母親を拉致してもらったことがある。アブダクションというやつだ。ふわふわとお空に浮かび上がり眩い光に包まれながら未確認飛行物体の中に消えていく義母を万歳三唱で見送り、爽快な気分で昼寝をして起きたら、アブダクションされたはずの義母が寝床の横に突っ立っていて、途轍もなく驚いた。腰を抜かした私が這うようにして寝室を出て居間へ向かったら、そこにも何食わぬ顔で茶を啜る別の義母がいたので、驚くのなんの、その場でショック死しなかったのが不思議なくらいだ。今更何だが、あの時せめて気絶していたら、と思わなくもない。その場でしおらしく気絶するような女だったら、義母との関係も違ったものになっていただろうと考えなくもないのだ。いや、それは言っても仕方のないことだ。それに、そのときは気絶しているときでもないし当然ながら、死んでいる場合でもなかった。先ほど寝室に現れた義母が廊下で動けなくなっている私の背後に迫っていたのだ。前門の虎後門の狼ならぬ居間の義母廊下の義母、前後を義母に挟まれた私はアルミサッシの窓ガラスを正拳突きで割り、ガラスに埋め込まれた金網を引き裂いて、その破れ目から屋外に逃れた。しかし、畜生め! 二体の義母が私の後を追ってアルミサッシの鍵を開けて家の外へ出てきやがった! 私は狭い庭を駆け抜け、隣家との境にある生け垣を飛び越え、乱雑に置かれた不用品が山と積まれ足の踏み場のない軒下の状態を見て取るや、少々ガタが来た雨どいをつかんで懸垂の要領で一階の屋根に上がり、そこで一息つくと、振り返って下を見た。義母は三人に増えていた。この家の屋根に一人が飛びつき、もう一人がその足を自分の肩に乗せて支えている。そして二人の体で作った梯子を、最後の一人が登ろうとしていた。三人目の義母が上がってくるのを待ってはいられない。私は人の家のボロ屋根を全力でダッシュそれからジャンプして道路に飛び降りた。細い生活道路なのに猛スピードで車を飛ばす馬鹿がいて、危うく跳ね飛ばされそうになる。どこ見てんだボケっ! と怒鳴ったら、たまたま自転車で走っていた子供が怯えて転んでしまった。大丈夫かしら、怪我はない? と優しく聞いたのに、クソガキは顔を真っ青にして何も言わずに逃げた。まあ、当然だろう。しかし、そのときは腹が立った。ぶつけようのない憤りが頭の中で出口を探して跳ね回り、私の口からブツブツと愚痴になって出てきた。人の顔を見て逃げ出すなんて、どういうことよ、みたいな。さて、どういうしつけを受けているのか、親の顔を見てみたくなったけれども、その暇はない。車を降りた運転手の男が逆切れして私に文句を言ってきたので、その頭に頭突きして地面に倒れたところを踏みつけ、相手がアスファルトの上でもがいている隙に車を奪って逃走した。バックミラーを覗いたら四人に増えた義母が車を追いかけてくるのが見えた。私はアクセルをベタ踏みし、一時停止の標識を無視して突っ走った。サイレンを鳴らしてやってきた警察のパトカーが進路を塞いだけれど、抜群のステアリングワークでかわす。大通りに出るところで警官隊が道路封鎖を試みたが、私が急加速させた車の突進を邪魔することはできず、追いかけてきたパトカーも私の車に振り切られた。そして遂に、私は義母たちから逃げ切った。あの嫁ぎ先とは、それっきりだ。  しかし私と義母なるものとの関係が、それで途切れたわけではない。  とある町で食堂を経営している嫁ぎ先でのことだ。その家の義母が、これまた陰険なド外道で、私に意地悪ばかりしてきた。私の我慢にも限度がある。全力で報復すべきだと疲れ切った魂が私に囁いた。三倍返しとまではいかなくとも、二倍半なら許されよう、と自分の魂とは別にある私の人格も思った。そして私は機会を待った。人生は悪い時ばかりではない、いつか好機が来ると信じて。そのときは、偶然が招き寄せてくれた。予想外の出会いが起こったのだ。傷害だろうが何だろうが、私の言いなりになってやってくれる愛人が現れた! のではない。食堂に設置してある給水機を掃除しようとしたら、中で繁殖していたカビが「助けて、お願いだから綺麗にしないで!」と泣きついてきたのだ。ずっと洗われなかった冷水機の内部で長年にわたって繁殖するうちにテレパシーに目覚めたカビは、私の恩情にすがるため、私の心に直接、必死の思いを伝えてきたのである。生かしておいてやっても良いが、条件があると私は答えた。何なりと仰って下さいとカビ。私の命令に絶対服従を約束させ、まずはカビの調教を開始する。テレパシー以外の芸当を仕込めないかと考えたのだ。攻撃的な超能力が良かった。もちろん、義母に復讐するためだ。電撃とかサイコキネシスみたいな、派手なやつが最高に素敵だ。その昔『サルまん(正式な題名は『サルでも描けるまんが教室』)』にて紹介されたイヤボーンの法則とか、そんなやつで義母をぶっ飛ばそうと夢見たのだが、そんな夢みたいな期待は裏切られた。何をどうやってもテレパシーしかできない。やる気があるのか! とカビキラー片手に脅してみたが無理なものは無理のようで、冷水機から出る冷たい水の水温に若干の上昇が見られるぐらいの変化が関の山だった。ストレスを掛けたのが悪かったのか、冷水が生ぬるくなるだけでなく、水の出も悪くなった。さらにテレパシーの出力や精度が上昇するどころか低下してしまう事態を招いたので、恫喝はカビに良くないということは分かった。  重大な肉体的外傷を負わせる超能力が使えないのなら、心理的・精神的にダメージを与えるまでだ、と私は考えた。テレパシーは、その方法に有効だ。毎晩毎晩、床に入ってから起きるまで、延々と悪夢を見させてやれば、あの無神経な義母とて神経を病んでしまうのではあるまいか? それを期待して、カビに指令を与える。義母が震え上がるほど恐ろしい夢を見せろ。怖い夢を連続して見せるんだ。そのたびに、飛び上がって起きるような夢だ。安眠なんか絶対に許さん。心を痛め付けろ、決して幸せな気持ちで眠らせるな。指示通りやれ――と命じたのだが、言われた通りにやっているのか、義母は毎朝スッキリした顔で起きてくる。いくら何でもカビの野郎、無能すぎるだろうと苛立った私は、どんな悪夢を見せているのか自分に見せてみろと冷水機の扉の隙間から中を睨み付けて凄んだ。  その夜、私は悪夢を見た。自ら望んで見る夢も悪夢と呼ぶのか? という疑問が生じたが、それはこの際どうでもいい。とにかく私は、夢にまで見てみたいとまで思ってはいないが見たかった悪夢を見たのだ。  カビは食堂の隅から隅まで、ずずずいっと広がっていた。床も壁も天井も、カビの緑一色だ。悪夢のような光景である(当たり前だ)。義母はマスクの上から手拭いを巻いた完全装備で、そのカビをこすり取っていた。こすってもこすってもカビは取れず、手にしたスポンジはすぐ汚くなるが、義母はどんどんスポンジを交換してカビをガシガシこすり落としている。カビは頑張って繁殖し、再び床や壁や天井の隅々まで広がろうとするも、義母の勢いに負けているように見えた。それくらい義母は生き生きと掃除に励んでいる。病になる前は朝から晩まで食堂に出て働き続け仕入れから清掃に至るまで手を抜かず店を切り盛りしていたそうで、その頃の雄姿――義母は女性だから雌姿が適当か――がしのばれた。  悪夢から目覚めた私は冷水機内のカビを寝床の中でまどろみながら呼び出した。私の忠実な手下となっていたカビは、すぐさまテレパシーで応答した。悪夢には悪夢だが、義母は必ずしも悪夢だと思ってないように感じた、と能なしのカビに伝える。生意気にもカビは抗弁した。店の中にカビが繁殖することほど、飲食業界の人間が忌み嫌うことはないというのだ。それは確かに間違っていないけれど、義母にとっては違うようだと話し、何とかしろと命じてテレパシーを切る。後になって、せっかく増殖したのに掃除で奇麗にされてしまうことはカビにとっても悪夢に違いないと気付いた。もっと怖い夢を見せろとカビに言っても、カビにとっては、それ以上の悪夢が思いつかないらしいのだ。だから私が、もっと怖い夢を見せろと言っても、繁殖スピードが大幅アップとか、その程度だった。  義母に見せる悪夢を監修すべきだと私は考えた。カビに任せていても時間の無駄だと気付いたのだ。イヒヒどんな悪夢を見せてやろうかと寝床をゴロゴロ転がりながら考えていたら、いつの間にか昼寝してしまったようだ。そして、いつの間にか私は、自分がカビに包まれていることに気付いた。食堂の鏡に映る私の全身がカビだらけなのだ。アオカビに包まれていても、私は美しい……なんて、つい見とれていたせいで、鏡の死角から義母が近付いてくるのに気付くのが遅れた。義母は私にホースで水をぶっかけ、それからデッキブラシで私をこすり始めた。なんつー痛みよ! 痛いってもんじゃない、そんなもんじゃないんだって! 頼むからブラシでこするのは止めてくれと叫んだが、義母は聞き入れてくれない。ごしごしごしごし、私をこする。全身の肉を削ぎ落されるかのような痛みに耐えかね、私は手でブラシを振り払った。そのはずみで義母は転倒した。悪気はなかった、これは事故なのだ! それなのに義母は怒り出した。デッキブラシを振り回し、私を殴る。正当防衛で、私は抵抗した。デッキブラシを振り払いつつ、義母の傍から離れようしても、素手ではかなわないと悟り、食堂のパイプ椅子を持ち上げ、椅子の脚を義母に向ける。義母のデッキブラシと私の構えた食堂の椅子の四つの脚が絡む。チャンスだ! 私は椅子を思いっきりひねった。デッキブラシの柄が義母の手から離れたので、私は椅子ごとデッキブラシを部屋の隅に投げた。これでブラシにこすられる心配はなくなったと思い、私は会心の笑みを浮かべた。その笑顔が凍り付く。鏡に映る義母の姿は一人でなく、二人、いや、三人だった。そいつらが鏡面世界から外の世界つまり、私がいる食堂の店内へ入ってきて、ニヤッと笑った。増えた義母は、その手にデッキブラシを持っている。いや、私が唖然としている間に、最初にいた義母も放り投げられたデッキブラシを回収してきたので、増加分を含めると三本のデッキブラシが、一斉に私に襲い掛かって来た。全身をくまなく硬いブラシでこすられた私は、あまりの痛みに絶叫して、自分の声で昼寝から目覚めた。私の途轍もなく大きな悲鳴を聞いた近所の人間や通行人が事件が発生したと誤解して警察に通報したせいで、制服警官が聞き込みに来たのには参った。悪いのは何もかも義母そして無能な冷水機だと主張するのも変なので笑って誤魔化す。その晩、私は熱を出した。変な格好で昼寝をしているからだと義母が食堂の常連に話しているのを聞いたような気がする。ただの風邪だと思ったら高熱が数日間にわたって続き、衰弱しきってしまった私は、食堂の冷蔵庫にある調理済みの料理を食べようと店内に入り、部屋の一部が以前とは変わっていることに気が付いた。冷水機が新しくなっている。今度の新品は、冷たい水だけでなく茶も出るようだった。テレパシーのあるカビは前の機械と一緒に消えてしまったようで、私が店の中で大声で呼び掛けても返事は戻ってこなかった。  それから間もなく、私は婚家を出た。体調が悪い私をまったく気遣わず、私に一言たりとも優しい言葉を掛けないばかりか、無理やり働かせる義母を許せなかったからだ。私を奴隷か何かだと勘違いしている義母にこき使われて死ぬくらいなら、野垂れ死にを選びますわ と食堂の壁のシミに呟いて店を後にした私は、最高に格好良かったと我ながら思い出し笑いすることがたまにある。 とある国にある、多くの義母が暮らしている不気味な家に嫁いだ時も災難だった。あそこから逃げ出すのは大変だったものさ。  その話をする前に、一つ確認しておく。  私の話を「シンジラレナーイ」と真っ向から全否定する輩がいないだろうか?  そう書くと私が、私の話を信じない人間のことを、空飛ぶ円盤に頼んでアブダクションしてもらうどころか、いわゆるキャトルミューティレーションつまり、家畜の牛が内臓の一部や大部分の血液を抜き取られた死体の状態で発見される怪現象の人体バージョンをやってもらうのではないかと誤解する向きがいるかもしれないが、それは全くの誤解だ。大事なことだから繰り返すけれど、その誤解は全くの勘違い、一つとして事実ではないので、ご安心を。  私の話を信じないのは、それはもちろん、その人の自由であり、勝手になさるが良い。ただし、信じる人がいるということはご理解いただきたいのだ。そういう人がいたからこそ、そういう人が今もいてくれるからこそ、私は今まで生きて来られたし、これからも生きていられるのだと、確信している。私だけでなく私を信じてくれた、そういう人々も不審の目で見ることだけは止めていただきたい。お願いしマッスル、間違えた、お願いします。  さて、義母がたくさんいる家に嫁いでいた頃の話をしようか。その頃、その家にいた義母は、豚のような顔をした若い女と、白髪の老婆みたいな外見だが声の若い年齢不詳の女と、全身から常に潮の香りが漂い、ごくたまに塩水を衣服から滴り落とす少女のような女、それから犬に変身する妙齢の女、この四人だった。もっといたときもあるが、私と接触する機会が多かった義母は、主に彼女たちだった。  私はある日、強い揺れを感じ、これは大きな地震に違いないと思い、かねてより準備していた防災グッズを入れたリュックサックを見つけ出そうとしてワーワーアタフタと、イタチが侵入した鶏小屋の中みたいに大騒ぎしていた。慌てふためく私を見て、白髪の老婆みたいな外見の義母がクククと笑い、それから言った。 「ずいぶんと慌てているようだけど、どうしたのかしら。この家から出て行く気になったのなら、止めはしなくってよ」  どんなときでも嫌味を言うのは忘れない。そんな不愉快極まる人間が、こんな状況でも相変わらずだったのは、むしろ私に安心感を与えてくれた。落ち着きを取り戻した私に、編み物をしていた豚面の女が言った。 「だいぶ大きな揺れだったから、何か落っこちたかもしれないねえ。見て来てくれよ」  お前が行けよキモいブラの線がいつも見えてる豚面の豚女! と言いたい気持ちをぐっとこらえ、私は家の中を見て回った。古くて大きな屋敷なので点検箇所が山ほどある。大きな柱時計がそびえる玄関ホール。その両翼にある階段を昇り、二階に並んだ幾つかの客室を見回り、一階へ戻って玄関の正面から真っすぐ進んだところにある大広間へ入る。異常がないか調べている間、歴代当主の肖像画が私を冷たく見下ろしていた。背筋に冷たいものが走る。この部屋に入ると、いつもそうなのだ、いつも! 怖いから大広間に行きたくありませんと義母たちに宣言する日を夢見るも、彼女たちに威圧され、私は本当の自分を出せずにいた。頑張れ、私! 負けるな、私! そんなことを一人で呟き自分で自分を応援する健気な自分に酔っていたら、背後で物音が聞こえた。怖くて振り返れずにいたら、声がした。 「驚かせてすまないねえ。本当にすまないねえ」  その声の主は、義母の一人、全身から常に潮の香りが漂い、ごくたまに塩水を衣服から滴り落とす少女のような女だった。振り向いた私に、彼女は衣服から塩水をボタボタ滴らせて近付き、長い髪に付着した海藻のような何かを指先でつまみながら言った。 「お嫁さんに、こんなことしてもらって、悪いわねえ」  口先では、嫁である私に気を遣ってくれる優しい義母を演じているが、あくまでも口先だけだ。彼女が滴らせて歩く塩水を拭くのは、嫁の私の仕事なのだ。自分で拭け! と言いたい。そもそも、どうして家の中で塩水を滴らせて歩き回るのだ? 理由を言え、理由を! しかし彼女は笑って答えない。何様だよボケ。  またも塩水を滴らせて、頭にワカメとかコンブとか髪の毛がくっついている義母は邸内のどこかへ消えて行った。彼女が濡らした床を拭くのは後にしよう。私は他の場所を見回り、異変が起きていないことを確認して、居間に戻った。居間には誰もいなかった。テーブルに書置きが載っている。読まずに破り捨てた。どうせろくなことは書いていないのだ。ほくそ笑んで、自室へ行こうと振り返ったら、犬に変身する妙齢の女、即ち第四の義母が立っているではないか! 読みもしないで書置きのメモを破ったところを見られたか……と私は自分の運の悪さを嘆いた。  しかし私は、実は幸運だった。その義母は、私はメモを引き裂いたところを見ていなかったのだ。 「あらあら、誰かがお手紙を破ったようね。ねえ、誰が破いたのか、ご存じないかしら?」  問いかけられた私は首を横に振って答えた。実は私が破いたところを見ていて、嫌味を言っている可能性はあるけれど、この義母は、そういう当てこすりは言わないタイプだった。それは良いのだが、面倒な部分があって、それが嫌だから私は敬遠している。その一面はまもなく分かる。当人の口から語られるのだ。そう、それは今! 「お願いがあるの、私のワンちゃんのお散歩よ。いつものワンちゃんのお散歩なのよお。ね、今からよろしいかしら?」  嫌です。  その言葉が言えない私だからこそ、義母と揉めてしまうのだと分かってはいるのだ。それでも毎回、同じような過ちを繰り返している。やりたくない頼まれ事を引き受け、疲れがたまり、また嫌な仕事をやるように命じられ、また疲れがたまっていく。この繰り返しがストレスとなり、最終的に爆発してしまう。暴発を防ぐには、ちょこちょこと小さくストレスを発散させることーーと書いている間に時は流れ、私は犬を連れて屋敷の外を散歩中だ。この犬は先ほど私に散歩へ連れて行くよう頼んだ義母の飼い犬だ……という設定だが、実は違う。彼女はペットなんか飼っていない。彼女の部屋には、わざとらしく犬用の飼育ケージが置かれているけれど、中に犬がいるところなんて見たことがない。彼女が犬に変身するのだ。その事実を、彼女は私に話していない。こっちも聞かない。私たちは、そういう間柄なのだ。それは義母たち全般にも言えることだった。秘密が多すぎて、わけがわからん。お前ら、何で増殖するのよ? 減ることもあるのは、何なの? 私は、どうして義母の数が増減するのか、義母たちに聞いてみたことがある。どの義母も教えてくれなかった。とても大事なことだろうに、絶対に私には教えてくれないのだ!  所詮、嫁は他人ということか。  私は手に持った猟銃で足元の犬つまり四番目の義母を撃ち殺したい衝動に駆られた――が、かろうじて耐えた。私は色々な嫁ぎ先で、三度の飯より嫁いびりが大好きである多種多様にして単細胞の義母なる者どもと接してきて、何度も殺意を抱いたが殺したことは一度もない。これからも絶対にないだろう。大切なことなので明記しておくが……ま、それは置いておいて猟銃の話をする。このショットガンに詰められているのはダブルオーバックと呼ばれる大型の散弾だ。鹿のような、比較的サイズが大きい獲物を仕留めるのに用いられる。ただし今、私は鹿撃ちをする気で満々なのかというと、そんなことはない。義母たちが持って行けというから持って来ただけだ。そもそも私は銃なんか扱ったことがない。護身用だと言われたが、撃ったことのない鉄砲を持って歩くほうが余程(よっぽど)危ない。大体、そんな物騒なところへ散歩に行かせんなって! あ、もしかして私を、熊や猪や狼の餌にする気なのか? しかし、それならショットガンを渡すまいに。銃に細工がしているのかもしれない。暴発して私が死ぬように。  そんなこんな、色々なことを考えながら屋敷の周辺を歩き回る。犬の姿をしている第四の義母は私の頭より高い草むらに突っ込んで行って、出てこない。まあいい。勝手に帰って来るだろう。私も好きなところを散歩するとしよう。恋人の小径と私が勝手に呼んでいる白樺の木々の間を通る小道を抜けると輝く湖水が見えてくる。その向こうはお化けの森と言って、物騒な連中がいるらしいから近寄ってはならないと義母たちから教わった。いや、待てよ。教えてくれたのは一回しか姿を見たことのない義母だったかな。名前に『E』が付いていた気がする。あの屋敷の地下には異次元の彼方へ通じるトンネルがあって、そこから義母がウジャウジャ出てくるとか出てこないとか、そんなことをほざく酔っぱらった義母もいた。ダイアナとか言ったっけっか? 忘れた。義母と言っても、あれだな、数が多すぎると滅多に会わない親戚みたいになるなあ……と、つらつら考えながら樹木のトンネルを潜り抜けて、緑の芝生のある林間の空き地に到着する。そこに座って休もう、と思っていたら先客がいた。 知らない男だった。  芝生に寝転んでうたた寝する男を、私はしばし観察した。着ている衣服はカーキ色の軍服だった。飾りの付いた上着と、ピストルのホルスターが付いたベルトそしてズボンにブーツ。目を引くのはピストルだ。武器を持っている物騒な連中が私の目の前に、とうとう現れたということか。どんな人相かといえば、髭は生えておらず、見た目は若い。人によってはハンサムだとか、イケメンだとか、そういう誉め言葉で描写するかもしれない。うん、まあまあな部類かな。ただ、ちょっと線が細すぎる気もする。  ある程度の観察を終え、私は静かに後退りを始めた。起こしてはならない。厄介事に巻き込まれるかもしれないのだ。これで、木の枝とか踏んづけて「ポキ」と音が鳴って、この男が目覚めたら嫌だな~と思ったときである。遠くの方で、犬の鳴き声がした。あの馬鹿犬つまり四番目の義母が私を呼び寄せようとして鳴きやがったのだ! 私は顔を歪めて舌打ちした。鳴き声で男が目覚める前に逃げ出そうと思って慌てたのがまずかった。後ろに転び、尻もちをついてしまう。そのはずみに手の中からショットガンが落ちた。暴発はしなかったけれど、私のお尻が地面にぶつかる音と合わせて、結構な音がした。私は焦った。大きな音で男が目を覚ます前に、逃げるのだ。とにかく急いで落ちたショットガンを拾おうとしたら、鋭い声で「動くな」ときたもんだ、やれやれ。  男は芝生の上で上半身を起こし、私にピストルの銃口を向けていた。手を挙げるべきか、私は悩んだ。指示されていないのに余計なことをやって撃たれるのも嫌なので、尻もちをついた姿勢のまま固まっていると男は座ったまま周囲に目をやった。私以外に誰もいないことを確認してから立ち上がり、ピストルの先を私に向けたまま近づいてくる。男はショットガンを拾い上げた。片手で銃身を操作し、装てんされた散弾実包を落とす。それから身をかがめ散弾実包を拾い上げて弾の種類を調べる。 「鳥を撃とうとして来たんじゃなさそうだな、鹿狙いか? それとも人を撃ち殺そうとして散弾銃を持ち歩いているのか?」  そう言って男はショットガンの散弾実包を落とした。ショットガンは遠くへ放り投げる。ピストルの銃口は動かない。私の方に向いたままだ。 「か弱い女性に拳銃を突き付けるのは趣味じゃない。質問するから答えてくれ。あなたの名前は?」  私は自分の名を告げた。男は「ひゅ~」と口笛を吹いた。 「あの怪物屋敷に嫁いできた花嫁さんって、あなたか? 驚いたな、また義母軍団が増えると聞いて、どんな凄いのが来るかと思っていたら、普通だ。いや、案外、いいかも」  立ち上がっていいかと私は尋ねた。男はピストルをホルスターの中に戻し、それから私に手を貸して助け起こしてくれた。私は礼を言った。 「どういたしまして。それよりさ、少しお話しませんか。今まで座っていたところに座って。せっかく起きたところで何だけど」  麗しの美青年から突然のお誘いである。私が独身であれば、誘いに乗っても誰も責めないだろう。しかし私は嫁、人妻だ。私が人の妻であると知って誘う男の図々しさに呆れる。それが顔に出る。  私の表情を見て、男は少々ばつが悪そうにはにかんだ。 「いえ、そういう意味ではなく、ちょっと聞きたいこととか、逆にお伝えしたいことがあって」  何を話したいというのか? 私は義母の犬というか義母そのものと一緒に散歩中であると告げた。夫以外の男性と、誰もいない場所で二人きりで会っているところを義母に見られたら困ると正直に言う。 「う~ん、それじゃ、またの機会に。次は、いつ会える?」  未来永劫あなたと会うことはない、と私はハッキリ伝えた。付きまとわれるのは迷惑だ、とも言う。 「いや、そういうのじゃなく、つまり、あなたよりも、あなたが一緒に暮らしている義母の皆さんの正体が、私は気になって」  それはそれで失礼だろう。私は男に失礼しますと言い、遠くに投げられたショットガンを拾うために歩き出した。男が後を追ってくる。私を追い抜く。 「僕が投げたんで、僕が拾います」  余計なお世話だと思い結構ですと断ったが、男は藪の中をズンズン進み、ショットガンを拾い上げた。 「どうぞ」  どうもと言って私がショットガンを受け取ると、男は足早に立ち去った。もっとしつこく絡んで来るかと思ったら、紳士的な引き際を見せてくれた、と多少なりとも感心する。背後で足音がした。振り返ると、犬の姿ではなく、人の姿をした第四の義母が立っている。彼女は男が消えた方を眺めながら言った。 「今ここに軍服姿の男が見えました。若い男です」  私は頷いた。今さっきまで、ここにいたと伝える。 「もう戻りましょう」  そう言うと義母は屋敷へ通じる小道を歩き始めた。私は地面に落ちたダブルオーバックの散弾実包を拾ってから彼女の後を追った。屋敷に着くまで、あの男が言っていた話を思い出して考えた。義母軍団とは一体、何なのだろう? 私は今まで嫁姑問題のせいで何度となく結婚生活に破れている。その原因は、つまるところ、私が義母たちに敗れたためだ。私は義母たちに勝ちたい。今度こそ、幸せになりたいのだ。どうすれば彼女たちに勝てるのだろう? 人間なのに増殖する正体不明の怪物、義母たちに! そのヒントを、あの男は知っているのでは……いや、そんな簡単に話が進むはずがない。しかし、このままでは何も解決しない気がしてならない。増殖する義母たちに打ち勝つ方法を見出さないと、私に幸せは訪れない――そんな悪い予感が、頭から離れなくなっていく。  屋敷に着いたとき私は、あの男と再び会うことを考えていた。言っておくが義母たちに打ち勝つ方法を見つけるために、である。  ここまで書いて約一万一千文字だ。その後の話を綴りたいのは山々だが、続きを書くには眠すぎる(笑い)。  応募要項には、こう書いてある。 ・10,000字以上の、実話を元にしたエッセイ・ノンフィクション作品であること ・完結済推奨。ただし締切から3ヵ月以内に完結の目途が立っている作品であれば応募可。 ・20,000字程度まで読んで選考を行います。  未完でもひとまず投稿し三か月以内に20,000字程度まで完成させることを目指すと今、決意を固めた。
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