If she…

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If she…

「うわ、また降ってきました」  ごみ捨てを終え、キッチンの裏手の扉から中へ戻り際、店長の晴夫(はるお)さんに向かって話しかけるが、晴夫さんから返答はない。喫煙スペースの屋根からぽつりと垂れてくる冷たい雫を避けながらそっと扉を閉めると、すっかり着替え終わった晴夫さんがひょこっと顔を出す。  晴夫さんの、大柄でいて何事も受け入れるような、その優しい面持ちを「熊さんみたいですね」と評した常連さんがいたことを思い出す。その発言に一瞬どきっとしたが、晴夫さんは案外喜んでいた。その彼女は酔っ払うと唐突なことを喋るが翌日記憶のないタイプだった。 「(りん)ちゃん、お客さん」 「え? もうお店締めたのに……」 「じゃなくて、凛ちゃんのお客さん」  わざと活舌(かつぜつ)よくそう言う晴夫さんの視線の先を追いつつ、入り口の方を見ると猫背の伊織(いおり)が立っている。 「よっ。この顔、緊張しすぎじゃね?」  先月グルメ雑誌からお店の取材を受けた際、晴夫さんに「凛ちゃんも一緒に」と言われて、撮影された写真。スマホの画面を覗き込みながら茶化すように切れ長の目で薄く笑う伊織をにらみつける。  ただのバイトだからまさか写真に撮られるとは思わなくて、姿勢を正してシャッター音が鳴るまで、体は硬直しっぱなしだった。今日が発売日だったが、その反響もあってかランチもディナーも入りが二、三割多く、お客さんが途切れることがほとんどなかった。
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