プロットをつくる/森村誠一さんの場合

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プロットをつくる/森村誠一さんの場合

「私の場合、プロットは劇的な体験や波乱万丈の人生などよりも、平凡な日常体験や、ありふれた生きようから作品のヒントを得ることが多い。日常性における非日常を面白いと思う。たとえば街角の主婦の立ち話や、ゴミ集積場におけるゴミの出し方の個性や、タクシーの運転手とのなにげない会話などから、作品のヒントを得ることが多い。」 「作品の劇的な要素と構想のヒントは直接のかかわりを持っていない。作者の中で、平凡な題材から劇的に化学変化するのである。化学変化させる触媒が、作者の感性や、経験や、アンテナということになるであろう。常にアンテナを張りめぐらしていないと、せっかくの千載一遇のテーマやモデルを見過ごしてしまう。作者が持って生まれた感性に加えて、ものを見る訓練が必要である。つまり作者の目と傍観者の目は異なるということである。作家たらんとする者、常に自分の作品を通してものを見なければならない。」  「日常性における非日常」。クリエイターの方からよく聞かれる言葉ですね。作家・クリエイターは、何も特別なすごい体験をしているわけではないということです(例外はあるでしょうが)。  大事なのは「日常」の中に転がっていて見過ごしてしまいそうなことを見逃さない「作者の目」。  「ものを見る訓練」というのは、心に刻むべき言葉ではないでしょうか。  また、小説を書かれる方は、自分の作品が「新しくない」と感じて焦ってしまう方もいらっしゃいます。けれど、私はたとえ筋や人物像などが似ていても、その作者自身の目を通して描かれている限りはオリジナルなものにならざるを得ないし、そこにこそ小説の魅力はあると感じるのです。  文芸賞・新人賞はやたらと「あたらしいものを求める」とうたいますが、私は少し疑問を抱きます。小説を書く方には、新奇性を追い求めるよりも、自分にしか書けないオリジナルを追求していただきたいと思っています。
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