1. 一希、自称「荘周の蝶」と語り合う

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 母──神楽(かぐら) 茉希乃(まきの)。若い頃は心理学の専門家だったが、後にコンピュータサイエンス、認知科学へとその専門領域を拡大した研究者。特に最近のAI分野では、売れっ子の一人だ。  その一方で、彼女のプライベートはほとんど公にされていない。彼女に一人息子がいること、彼女がその息子との関係性に悩み、長らく泣き暮らす時期があったことも。 「もしかして、自分のことをご存知だったのは、母の書籍に顔写真が掲載されていたとかですか?」 「ん──どうだったかな」  那々(なな)の返事は、一希(いつき)の予想に反して歯切れが悪い。彼としては、母から書籍にそんな写真を使った話は聞いていないものの、確率は高そうだと踏んでの質問だったのだが。  おや? と目を瞬かせた一希から何かを察したのか。那々は途端にしたり顔になり、ピッと一希の左胸にある名札を指し示す。 「写真云々より、そんな珍しい苗字をぶら下げてる人が、まず居ないよね」 「あー、まあ、それはそうですが」  苗字が珍しいのは事実だが、那々の言い分からは違和感が拭えない。  小首を傾げる一希に、顔をメニューで隠すような体勢になった那々が、畳み掛けるように追加オーダーを出した。 「コーヒーのおかわりを──それと、オペラケーキもお願いします」 「かしこまりました」  脳内に疑問符を残しながらも、ケーキの準備に取り掛かった一希は知らなかった。彼の追及を逃れたと、那々がメニューの影でほくそ笑んでいたのを。
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