10人が本棚に入れています
本棚に追加
母──神楽 茉希乃。若い頃は心理学の専門家だったが、後にコンピュータサイエンス、認知科学へとその専門領域を拡大した研究者。特に最近のAI分野では、売れっ子の一人だ。
その一方で、彼女のプライベートはほとんど公にされていない。彼女に一人息子がいること、彼女がその息子との関係性に悩み、長らく泣き暮らす時期があったことも。
「もしかして、自分のことをご存知だったのは、母の書籍に顔写真が掲載されていたとかですか?」
「ん──どうだったかな」
那々の返事は、一希の予想に反して歯切れが悪い。彼としては、母から書籍にそんな写真を使った話は聞いていないものの、確率は高そうだと踏んでの質問だったのだが。
おや? と目を瞬かせた一希から何かを察したのか。那々は途端にしたり顔になり、ピッと一希の左胸にある名札を指し示す。
「写真云々より、そんな珍しい苗字をぶら下げてる人が、まず居ないよね」
「あー、まあ、それはそうですが」
苗字が珍しいのは事実だが、那々の言い分からは違和感が拭えない。
小首を傾げる一希に、顔をメニューで隠すような体勢になった那々が、畳み掛けるように追加オーダーを出した。
「コーヒーのおかわりを──それと、オペラケーキもお願いします」
「かしこまりました」
脳内に疑問符を残しながらも、ケーキの準備に取り掛かった一希は知らなかった。彼の追及を逃れたと、那々がメニューの影でほくそ笑んでいたのを。
最初のコメントを投稿しよう!