1. 一希、自称「荘周の蝶」と語り合う

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 ところが、客は席を選ぶでもなく、その場で呆然としたまま動かない。お決まりの挨拶を途中で言い淀み、不審に思った一希(いつき)はゆっくりと目を瞬かせた。  開け放たれたドアの前で立ち尽くすのは、一人の小柄な女性だ。雰囲気からして、自分よりもやや年長だろう、と、一希はあたりをつける。コートや手袋、マフラーといったものは身につけていない。おかげで季節感はゼロだが、金属光沢が所々に配された、アートなまでに斬新なデザインの衣服が印象的だ。  その上に載る、前下がりのショートボブで三方を囲んだ小さな顔では、一希を見つめる黒目がちの大きな双眸が、紫色のルージュを塗った小さな口と一緒に三つのO(オー)を作っている。  ──何だ?  一希は、妙な違和感を覚えた。  まるで彼女の存在自体が、周囲から切り離されたように見えたのだ。粗雑な嵌め込み画像を見せられているような、視覚的な異物感。ついでに、正面切って無遠慮に凝視されるというのも、妙な居心地の悪さを感じる。 「お客様?」 「何なのここ。若かりし頃の神楽一希が出てくるとか、一体どんな娯楽空間(エンタメバース)よ」  女性の早口な言葉を拾えず、一希はわずかに眉をひそめた。 「あの、ここはCafé Jorgeですが」 「私、そんな名前の空間(バース)にダイブした覚え、ないんだけど」 「……え?」
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