1. 一希、自称「荘周の蝶」と語り合う

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 さてどうするか──こういった相談事は、何故かこの店の主人の得意とするところだが、残念ながら彼の帰りはまだ少し先だ。 「……とりあえず、少し、ここで休憩されては?」 「そうで、す、ね」  一希(いつき)の提案にこっくりとうなずいた那々(なな)が、グラスを手に取った。その拍子に中の氷が動き、透明な軽い音をたてる。  その音に、那々がにわかに動きを止めた。グラスの中をじっと見つめる黒い瞳が、それまでのパニックから、みるみる理知的な輝きに変わる。  それは、一希には馴染みのある輝きだった。対象を分析し、仮説を立て、現実の新たな一面を発見しようとする、研究者の目。その目をする女性を、一希はよく知っていた──記憶の中では、彼女は悲嘆の涙に溺れていることが多いけれど。 「あの──」 「ああ、ご、ごめんなさい。ちょっと考え事」  意識を半分ほど一希に振り向け、那々が曖昧に笑う。 「いただきます」  律儀に挨拶をして、那々はグラスの水に口をつけた。  一希は黙したまま、眼を(しばたた)かせた。  那々が水を飲んだ途端、それまで彼女の周囲を覆っていた異質さが、不思議なことに薄くなっていったのだ。ズレていたピントが徐々に合う、あるいは、彼女が空間に馴染んだ、とでも言おうか。
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