1. 一希、自称「荘周の蝶」と語り合う

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「どうぞ、モカブレンドです」  白磁のカップに注がれた、ふくよかな芳香を纏う湯気を立ち上らせる暗色の液体。それを一希(いつき)が静かにテーブルに置いた途端、那々(なな)は大きな目をさらに見開いた。 「良い香り。熱もちゃんと伝わる。ああ、やっぱりメタバースとは違うな。私の知る限り、こんな機能はまだ実装されてないし。しかも()れてくれたのが神楽一希とか、どう考えたって凄すぎるわ」  一希には理解不能な独り言を一頻(ひとしき)りばら撒いてから、那々はゆっくりとコーヒーを味わう。 「いただきます──美味しい!」 「ありがとうございます」  一口飲んで、那々の顔がパアッと輝いた。喜びがダイレクトに伝わる反応に、一希も目元を綻ばせる。  よくわからない客ではあるが、自分が淹れたコーヒーを楽しんでくれるのは有難い。  那々の雰囲気が緩んだのを見計らい、一希は先程から気になっていたことを聞いてみることにした。 「あの──自分をご存知のようですが、どこかでお会いしたことが?」 「ううん、私が一方的に知ってるだけ。コーヒー、本当に美味しい。ありがとうね」  目の前のコーヒーに集中する那々からは、一希の質問に真摯に答える様子は伺えない。  紫色の鉄壁の微笑みに、一希は白旗を掲げた。 「いえ、ごゆっくりお寛ぎ下さい」
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