一人

1/1
前へ
/17ページ
次へ

一人

 人家が途切れ、街道に出ても、誰も追いかけてこなかった。 「北の聖地……」  声に出してつぶやく。  聞いたことはあった。北へ北へと進んだ雪山の中にあり、あらゆる魔法に通じた精霊たちがいるという。確かに禁じられた魔法を解く術を知っているだろう。だが、それを一人で、となると途方もない旅に思えた。  大人の足でも何カ月かかるかわからないのに。  どうして僕がやらなきゃいけないんだ。  召使いにでもやらせようか、と今さらながら思う。  しかし頭に契約書がちらついた。  契約を破れば、さらに重い刑になるだろう。  それにまた父と群衆の前に出る気概(きがい)はなかった。  進むしかない。  街道を行くと、小さな村が見えてきた。  空腹を感じて食堂に入る。 「ゲラルト様も大変だな」  いきなり父の名が耳に入り、ルイスは声の主を見た。中年の男が店主と世間話をしていた。男の隣に座る。 「今の話、詳しく聞かせてくれ」  男は見知らぬ少年の物言いに少し眉を上げた。ルイスは小さく舌打ちして銀貨を一枚出した。渡す瞬間に「そうか、金を屋敷で補充してもらうこともできないのか」と気づいたが、銀貨は手を離れた後だった。  男は話した。  王都に移民が入ってきて、いさかいが増えていること。裁判長のゲラルトは多忙を極めて倒れ、休養を命じられ妻子の元へ今朝がた戻ったこと。 「貧富や肌の色で差をつけない、平等に裁きを下すって言うんで庶民に人気だが、その分敵も多いらしい」 「へぇ」    そうか、お父様は仕事が忙しくて、疲れていたんだな。  でなければ僕にこんな仕打ちをするわけがない。きっと、そのうち迎えに来て下さる。    食堂を出てあたりを見回す。ある方向にだけ、やけにはっきり目の焦点が合う。自然と足がそちらへ向かう。  契約が染み込んだ身体が「北へ北へ」と急かすようだった。  
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加