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「輝美、何度も言うけど」
僕はどうやっても開く気配のないドアノブを 仔細に調べながら言った。
「僕はオシッコとか少しも気にしないよ?そんなの誰だってするし、僕だってするし。そもそもオシッコなんて・・・」
「やめて!オシッコオシッコ連呼しないで」
輝美は椅子に座ってPCデスクに突っ伏してぐったりしている。僕の方は入口のドアと対峙していて、ちょうど彼女と背中合わせになる格好だ。
あまり我慢しすぎると身体に悪いと聞いたことがあるけど大丈夫かな・・・?この閉鎖された環境で、彼女の中では人としての尊厳と動物本来の欲求がせめぎ合っているんだな。今は静かに見守ってあげよう。
(モゾ、モゾモゾモゾ・・・)輝美がウー、と唸りながら、落ち着きなく腰を浮かせたりしているのが音でわかる。そうか、外からの雑音が入って来ないせいで、室内の音は驚くほど明瞭に聞こえるんだ。
反対に、二人同時に黙り込めば、まるで生きたまま埋葬されたような重苦しい静寂がのしかかってくる。とりあえず何か喋っていよう。
「内鍵のかかるドアにはたいてい解除装置があるものなんだ、事故防止のためにね。たとえば僕の家のなんかはドアノブの中心に溝の付いたへそみたいのがあって、そこにコインとかを差し込んで回すと・・・、輝美、聞いてる?大丈夫?」
「う、うん・・・」
(ハアハアハア・・・)まずいぞ!なんか息が荒くなってる!目もトロンとしている!でも苦しそうというよりは、どちらかというと恍惚としている感じだ。
そういえばこんな話を聞いたことがある。マラソンランナーは走りながら一定の苦しい限界を通り越すと、今度は逆に高揚感や多幸感を感じるようになるという。 彼女もそんな感じなのだろうか。輝美、きみは今一体どんな世界の中にいるんだ?
「ヒロユキくん・・・」
突然の僕を呼ぶ声が長い沈黙を破った。
「さっきはごめんね?どなったりして・・・」
「いいって。気にしてないから」
「元はといえば私が悪かったのにね。ヒロユキくんは私を助けてくれてるのに・・・。そうよ、もし私一人きりだったら、パニックで頭がおかしくなってたかもしれないわ」
先刻の険しさとはうって変わって、まるで 熱にうかされたような、夢見心地のような口調で言った。
「一人でこんな箱の中に閉じ込められたら、そりゃ誰だっておかしくなるよ」
「私もうダメ・・・ハアハア。本当にここでしちゃうけど、引かないでね」
「お、おう」
「あと絶対、絶対に、こっち見ちゃだめだからね!」
「わかった。誓うよ」
僕は右手を上げて宣誓し、グルッと壁の方に向き直った。
後で、背もたれの大きいゲーミングチェアを動かして、向きを回転させているのが音でわかった。そうか、椅子を盾にして半身を机の下に潜り込ませてするつもりなのだな。的確な判断力だ。
「あああ・・・いよいよね、本当にしちゃうのね、私・・・ハアハア」
輝美はそんなことを何度も譫言のように呟いていた。
(スルスルスル・・・)やがて彼女がスカートを捲り上げる音がした。
さっき自分で言った言葉はどこへやら。僕は心臓が高なり、全神経が鼓膜に集中するのを抑えることができなかった。
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