4人が本棚に入れています
本棚に追加
「忘れてたでしょ、僕のことなんて」
開口一番、安城は唇を尖らせた。拗ねた子供のような調子で告げるも、瞳は努めて笑顔を保とうとしているように見える。
「そんなことはないです。ただ、忙しくされてるかなと……」
「そーうなんだよ~!」
労いを皆まで言い終わらないうちに、自分が身を置いている業界がいかに激務であるかを安城は早口でまくしたてた。
「……だからさ、納期が終わると発散したくなるんだよ!」
・お疲れさまです。
・大変ですね。
・お体をお大事になさってください。
三種の神器セリフ(労りバージョン)を使い回しているうちに、安城との時間は過ぎ去ってしまった。
思った以上に煩わしいことはなかった……と胸を撫で下ろした刹那、安城は当然のように誘いを持ちかけた。
「じゃ、美味しいもの食べに行こうか」
*
「これ、何だか分かる? 珍しいでしょ」
「何を食べたい?」と聞かれたなら、真っ先に「肉!」と答えるつもりだった。けれど、私の目の前に盛られているものは……。
「エスカルゴ。ブルゴーニュ地方の郷土料理でね、まぁ『かたつむり』だね!」
『初アフター、おめでとう! 普段は食べられないような高級料理をご馳走になってきてね!』
二号店の開店準備に忙しいママに代わり、マネージャー田沼に送り出されたものの。私が「食べたいもの」ではなく、安城自身が「食べさせたいもの」として奇をてらったメニューを選んだのかと思うと、さらに巨大なかたつむりが滑稽な食材に見えてきた。
込み上げてくる笑いを抑えたがために口角が上がる私を眺め、安城は不安そうに首を傾げる。
「もしかして、お初じゃなかった?」
「いえ、初めて見ました。サザエに似てるなぁって……海育ちなもので」
私の返答を聞いてホッとしたように胸を撫で下ろすと、安城は高らかに笑った。
「やっぱり、君は変わってるねぇ!」
「変わってますか、私」
「僕が今まで連れてきた女の子たちは、皆揃いも揃って『何ですかこれ、気持ち悪~い』って頭をクネクネさせてたけど。うん、変わってるね!」
最初のコメントを投稿しよう!