chapter 3 偽装契約

12/32
前へ
/383ページ
次へ
途端に爽やかな檜と美味しそうな酢の香りに 鼻腔が包まれた 杏奈は入り口に立っておそるおそる周りを見渡した 心もとなさそうなその様子に 彼女はくるりと背を向けて逃げ出すのではないかと 思った大和は彼女の後ろに立ったままじっと店の 様子を伺っている彼女を見守った 杏奈は鮮やかな檜のカウンターや カウンターの壁全面の巨大な水槽や その中を泳ぐ魚の大群 くつろいだ雰囲気を確かめるのをしばらくじっと 眺めていた やがて杏奈は振り向いてためらいがちに微笑んだ 「あ…あの…よいお店ですね 」 「ああ  だが判断するのは寿司を食ってからにしてください」 窓際のカウンター席に案内されると 杏奈は嬉しそうに言った 「ここからも海が見えるのですね ネオンの明かりが水面に映ってとっても綺麗です」 当然ながらメニュー表もなければ 杏奈の目の前にあるのは とても良い匂いのするお手拭きと 握った寿司を置く下駄だけであった 大きな檜の桶と真っ白な手ぬぐいを片手に 真っ白な板前服に身を包んだ寿司職人が カウンター越しにやって来て 杏奈達に深々とお辞儀をした そしてまるで儀式を始めるように寿司を握りだした 杏奈はしばらく初めて見る職人の手さばきに うっとりして見入った 最初は淡白な物から下駄に一貫ずつ 美しいにぎり寿司が置かれる どうすれば良いかわからず杏奈はチラリと隣の彼を見た 彼は嬉しそうによくお手拭きで手を拭いてから 手で寿司をつまみパクリと口に入れた 「旨い!」 大和が唸った 「お連れ様は お箸をお使いになられてはいかがでしょうか?」 そう職人さんが杏奈に言ってくれたので 手でつかむのに躊躇していた杏奈は お箸で寿司をつかみ、反対の手で受け皿を作って 彼と同じようにパクリと口の中に寿司を放りこんだ 途端に脳内に花が咲いた こんなに美味しい寿司は初めて食べた スーパーのパックや回転寿司とは 比べ物にならなかった
/383ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7608人が本棚に入れています
本棚に追加