さよなら、夏向

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 夏向はわたしを連れて学校を出た。  毎朝見ていた背中を追うだけなのに、全身が大きく脈を打つ。立ち止まると震えて歩けなくなりそうだ。  校門を抜け、下校する生徒の流れが散り散りになると夏向はやっと振り返った。 「見送り」 「え?」 「見送り、してくれるって言った」  どこかすねたような、言葉足らずのぶっきらぼう。それが小学生の頃の夏向を彷彿とさせ、固まっていたわたしの肩からストンと力が抜けた。 「うん……」 「駅までだったら、くるみはその後バスで帰れる?」 「うん。自転車は学校に置いておくから大丈夫」  問われるままに答えると、ホッとしたような微笑みが返ってくる。二人の間に流れたのは、年月をかけて積み重ねたいつも通りの空気だった。  雲の隙間から差す日は未来を促すようにアスファルトを照らし、夏向の長い足が最後の一歩目を歩きだした。 「えっと……なんか、今日まであっという間だったね」 「うん。まだあっちに住むっていう実感は湧かないけど」 「そういえば夏向のドイツ語って聞いたことないなぁ。あっちじゃ普通に喋ってるの?」 「……Das ist natürlich(当たり前だろ)」 「え、すごい!しまった。もっと教えておいて貰えばよかった。ヴァイオリンはまたあっちで習い直すの?」 「さぁ。爺ちゃん以外に教わる気はあんまりないかな。コンクールももう出ないだろうし」 「そっか」  たわいない会話だけを乗せて、色のない秋風が通り抜けていく。まるでこの数日のことなんて何もなかったかのように。  街路樹のそばで揺れる淡いコスモス。青い空に映える真っ赤な紅葉。風が揺らす秋の彩りはこんなにも鮮やかなのに、今は夏向の心の色だけが見えない。  駅までは徒歩十分。どこかでずっと構えていたわたしを他所に、夏向はロータリーの前であっさりと言った。 「ここでいいよ。俺が先にくるみ見送っていい?」 「わたしを?」 「うん。もうバス来るし、最後までくるみの背中見てたいから」  どきりとしたが、夏向はそれ以上は何も言わない。 「あ、あの……」  これで、最後だ。  言いたいことは沢山あるはずなのに、何度口を開きかけても言葉が上手く出てこない。  夏向はわたしをどう思っているのだろう。どうして何も言ってくれないのだろう。疑問が何度も頭の中を空回りして、それを取り繕うように当たり障りのない言葉が先に滑り落ちた。 「いろいろ大変だと思うけど、ずっと応援してるから」 「うん」 「だから、その。……元気でね」  わたしが差し出した右手に、見慣れた大きな手がそっと重なる。  すぐそばで停車したバスが扉を開いたから、繋がった二つの手は名残よりもぎこちなさを指先に留めてから離れた。  
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