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絡まる足ももどかしく、わたしは転がるようにバスから降りた。
無防備に駆け出したせいで前につんのめったが、地面に手をつくより先に夏向が全身でわたしを受け止めた。
「夏向……!!」
いつもどれだけ走っても涼しい顔をしていた夏向が、息を乱しながらわたしを抱きしめる。
「なんで、くるみが泣くの」
震えを押し殺したような、消えそうな声。
「くるみは俺に怒ってもいいのに、俺はあんな酷いことしたのに。なんで、くるみは……」
「酷いこと?」
思い当たるのはどう考えても文化祭しかない。そっか。そう思っていたから、夏向はわたしをどこか避けてたんだ。
「わたしは夏向に何も酷いことなんてされてないよ」
言わなきゃ。今度こそちゃんと。
「わたしね、一番大切なことまだ夏向に伝えてない」
語尾が震え、怖気心はまだ声を奪おうとする。それでも前を向こうとする力をくれたのは、詩ちゃんの「がんばれ」だった。
がんばれ、くるみ。想いを形にする勇気を、全力で振り絞れ。
「わたし、わたしは、夏向が好き。ずっとずっと、大好きだよ」
風は紅葉を散らし、わたしと夏向の世界にハラハラと赤色が舞い落ちる。
夏向は大きく開いた目でわたしを見下ろしていたけれど、涙を落としながらあの辛そうな顔をした。
「くるみ……、俺、本当は日本にいたい。くるみの隣を誰にも奪われたくない。ずっとくるみのそばにいたい」
抑揚のない声はまるで罪を告白しているかのようで、でも、わたしにはやっとその心が見えた気がした。
夏向はお爺さんのことを本当に大切に思っている。流れる涙は、二つの本音の狭間で抱え続けていた葛藤と罪悪感なのだろう。
わたしが流す涙はきっとそれより重くない。だから、せめて精一杯夏向を受け止めて、励ますように笑うんだ。
夏向はそんなわたしの頬を指先ですり、目元を拭った。
「……ごめん、俺すごいかっこ悪い」
ちゃんと見せてくれた弱い部分に、胸がきゅっと締めつけられる。
「そんなことないよ」
諦めたくない。こんなに純粋に人のことを思える、このひとを。わたしは背伸びをして、両腕を夏向の首に回して抱き寄せた。
「ねぇ夏向。夏向がドイツから離れられないなら、わたしがそっちへ行くよ」
「え……」
「沢山勉強するし、ドイツ語だってちゃんと覚える。何年かかるか分からないけど、絶対生活力身につけて行くから信じて待っててくれる?」
「生活力……」
わたしはものすごく真剣だったのに、しばらく呆然としていた夏向が急に笑いだした。
「な、なに?わたしまた何か変なこと言った?」
「いや、やっぱりくるみはかっこいいなって」
夏向の笑顔に、「くるみちゃん」と呼びながら手を繋いでいた少年が重なる。
流れる時は止められないけれど、この笑顔だけはきっと未来へ繋がると信じたい。
自然と触れた鼻先に目をとじると、返事の代わりに優しいキスが落とされた。
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