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「くるみ、足元」
「へ?うわっと!」
駐車場の前で、母が仮置きしていた植木鉢を爪先が引っ掛ける。傾いだ体は無様にひっくり返る前に大きな手に引き寄せられた。
「ご、ごめん、ありがと。朝っぱらからやらかすところだった」
「なんか……くるみ、縮んだ?」
「夏向がまた大きくなったんでしょ。この前の身体測定で何センチだったの?」
「178」
「うわ、同じ空気吸って生きてるのに23センチ差は卑怯だぁ」
嘆きを装いながら夏向の体温から離れる。身長を10センチも抜かれた辺りから、わたしは戸惑うことが多くなっていた。
「くるみちゃん」は「くるみ」へ。夏向の声は随分低くなった。話しかけるわたしの顎は日に日に角度を広げて空を向き、歩幅ももう合わない。照れた仕草や面差しだけを残しながら“夏向少年”は遠ざかり、目の前に立つのは堂々と朝日を背負う青年だ。鼓動が、微かに速まっていく。
深呼吸。平常心。よし。
駐車場から自転車を引っ張り出し、淡い水色に広がる朝空を見上げる。層の薄い雲から降下してきた鳥につられた視線は、先に走りだした夏向の背中で止まった。
遅れないようペダルを踏みしめ、束ねた髪を風に流す。わたしが隣に並ぶと夏向がちらりと横目で見た。
「くるみ、今日は二駅分の区間だけタイム測っといて」
「分かった」
すっかり慣れたやり取りは、人知れず乱れた心をなだらかに戻してくれた。
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