【第一章 邂逅】

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 覚悟を決めて閉じられたカーテンの端を一気に引き寄せる。オレンジの強烈な光が視界に飛び込み、一瞬、目が眩んだ。手のひらを窓にかざして斜陽を遮断する。  校舎の屋上に差しかかりそうな落陽が、このなんでもない教室の、木目調の床や机、そして雅史自身を照らし出している。橙色の絨毯を教室の奥まで敷き広げて、まだ子供の雅史の影を無理やり背伸びさせる。  教室の扉が遠慮がちな軋み音を響かせながら開いた。落陽の教室という青春の舞台に映し出される葉月の姿。葉月の表情はどこか張り詰めた雰囲気で、授業で皆に見せる表情とはまるで違っていた。  扉を閉めてゆっくりと雅史の側に歩み寄り、まっすぐな眼差しで目を合わせる。しばらく間があったのは、心構えのための時間を準備してくれたからに違いないと思った。 「どうしたのかな、阪上君」  葉月が心の奥をくすぐるような優しい声で雅史を呼ぶ。  雅史の胸の鼓動が早鐘を打つ。緊張で心臓を吐き出しそうだった。それでも雅史はひるむことがなかった。ここで気持ちが退いたら決心は嘘になる。そう自分に言い聞かせながら小さく息を吸い込み、何度も心の中で繰り返してきたその言葉を、熱の籠った吐息に乗せて運んだ。 「春日先生、僕は先生のことが好きです」  葉月は驚いて目を見開いた。続けてほんの一瞬だけ、風がささやくように微笑んだ。その風は雅史の心の中にある、憧れが縁取る恋の葉先をそっと揺らした。  ああ、僕ひとりのために向けられた笑顔が、こんなにも綺麗だなんて。  けれど葉月はすぐに手のひらで口を覆ってうつむいた。黒髪のレースがさらっと流れ、その表情を隠してしまう。  視線を逸らされて雅史はどきりとした。その反応が笑いを堪えているように思えたからだ。  とたん、身の程知らずだったと恥ずかしさがこみ上げてきた。逃げ出したくなり、雅史は後ずさりする。  ところが葉月は突然、雅史の制服の裾をしっかりと握りしめた。  手のひらの下にわずかに見えた葉月の唇は、痛々しいほどかみしめられている。顔を覆う細くて白い指の隙間から雫が滴り始めた。  にわかには信じられないことだったが、葉月は泣いていた。 「せっ、先生……どこか具合が悪いんですか!」  的外れだと分かっていながらも、そんな言葉をかけるのがやっとだった。雅史はただ、何もできないでいる自分を情けないと思いながら、茫然と立ち尽くしていた。  それからどれくらいの時間が経っただろうか。十分か二十分か、さっぱり見当がつかなかったが、その時間は雅史には途方もなく長く感じた。  ようやっと落ち着きを取りもどした葉月は、ハンカチで体裁を整えてから、か細い声で雅史に囁く。 「ごめんね。でも告白してくれてありがとう。そしたらね、先生、君にお願いがあるの。聞いてくれる?」
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