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――雅史君。
――ねえ、雅史君ってば。
意識の外側から呼ばれてはっとした。視界には雅史の顔を覗き込む少女の姿があった。どきりとして身を引くと、少女はわずかにむっとした表情になる。
ふたりは裏路地のカフェで休憩をしていた。店内は客がまばらで、皆、無言で朝食メニューを口にしている。控えめのボリュームで流されるクラシックが空気を穏やかにする。
虹が丘公園を一周する間、雅史はまるで雲の上を歩いているような心持ちだった。
感動すべき再会だというのに、押し黙ったままでしかいられないのは、憧れの人との不思議な再会に常識の感覚が追いついていなかったからだ。運ばれてきたコーヒーにすら、まだ口をつけていなかった。
「ほら、せっかく淹れたてなのに冷めちゃうってば」
「あっ、ああ、はい」
少女は上品な手つきでミルフィーユを口に運んで咀嚼し、飲み込んでからひとこと。
「やっぱり、健康っていいよね。何でも美味しく感じるよ」
雅史はそんな少女の姿を見ながら、少しずつ回りだした頭に疑問を浮かべる。
「葉月さん、いつから娘さんの意識の中にいたんですか」
誰にも聞こえないようにと、小声で尋ねた。少女は思い出すように視線を宙に浮かせる。
「たぶん、高校に入学してからかな。時々、目を覚ましたようにこんなふうになるの」
「その間、娘さん――美郷さんはどうなってるんですか」
「寝ている状態だと思う。私の存在には気付いていないみたい。だけど――」
一拍、間を置いて続ける。
「いつかは気づかれちゃうと思うの。不自然に意識がなくなるなんて普通じゃないでしょ。今日は寝過ごしたと思ってくれるだろうけど、長くごまかせるわけじゃないし」
確かに葉月さんの言う通りだと、雅史は納得した。
さらに尋ねたところ、「美郷」も「葉月」も、互いの行動を認識していないとのこと。ただ、「葉月」は次に意識が表出する時間と持続時間が漠然と分かるらしい。
「それで朝早い時間に待ち合わせを指定したんですね」
「うん、私の都合だったけどね」
「じゃあ僕を呼ぶ手紙を書いたのは葉月さんだったんですね」
「うん。もちろん美郷には内緒だから、雅史君も何かあったら口裏合わせてね」
「そりゃあそうしますけど……」
母親とはいえ、別の意識が自分の身体を勝手に操っているのだ。もしかしたら乗っ取られるのかもと、疑念に駆られるかもしれないし、恐怖で気が狂いそうになるかもしれない。雅史は葉月の娘の身に問題が起きないかと心配になる。
「だから、私から雅史君にお願いがあるの。いい?」
「お願い……ですか」
「聞いたら断るっていうのはナシだからね」
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