バトルスタート

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 久我竜星は今年で十八になる都内の高校生。  大学受験を控えている受験生で、三年生になった四月からはつるんでいた地元や部活の仲間たちと遊ぶこともやりたいことも我慢して学業以外の時間でも机に向かって問題集や過去問と格闘する日々が続いている。  去年の今頃は陸上部に所属して都大会に向けて、日々部活動で叩きだされる記録と格闘してもがいていたが、あの時は越えられない目標も努力次第でクリアできる楽しさや報われた感情もあったが、いまは違う。  ひたすら模試の判定に一喜一憂し、教育ママの母親や学校や塾の先生から向けられる言葉や無言のプレッシャーが竜星を苦しめた。  安らげる自分の家庭や学校ですら、自分を蝕む見えないなにかに侵食されていく絶望感を味わった。  親や先生は繰り返し、いまが勝負時だ。高校入学も頑張れたから今回も大丈夫だ。竜星ガンバレ竜星ガンバレ竜星ガンバレ竜星ガンバレ。  胸の奥底に鉛を詰められたどんよりした不快感が常に充満していた。  そんな折、ごく最近で観た朝のニュースで衝撃的な報道が飛び込んできた。茨城県内の高級住宅街で殺人事件が起きた。  被害者は世帯主の宅間昭雄という実業家の男性とその妻。そしてその家に出入りしていた家庭教師の男性の三人。  被害者全員は喉を切り裂かれて全身を鋭利な刃物で滅多刺しにされた無惨なもので、殺された家庭教師に勉強を教えてもらっていた宅間家の長男は行方不明らしい。  憶測だがこの長男は受験戦争のストレスで家族を殺して逃走したのではという噂が流れた。  竜星はなぜだかそれを見て心臓がヒヤリとした。おぞましいニュースに度肝を抜かれたというよりも、なぜだか竜星は家族を殺したのではとされる宅間家の長男を他人事だと思えなかったからだ。  毎日毎日、頭の中に詰め込まれる三角関数サインコサインだのなんちゃらだのと数式や学問に自分の日常や生活をがらりと変化させられ、息抜きの趣味も味気なく感じられ、生活の中のわずかな楽しみや幸福の時間も、すぐに消え去ってまた受験戦争に向けて闘争する日々は、今のところ逃走を許してはくれない。  そんなふうに安全地帯が安全地帯で無くなった絶望感でなにもかもを滅茶苦茶にしたいという衝動はどこか理解できたからだ。  いま自分はそんな大それたことはしていないが、いつかふとした瞬間にその衝動が起こった時にそんなバカなことをと踏みとどまれるか否かなんてきっと誰にも分からないだろう。
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