西へ

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 西の稜線に日が沈んでいく。赤く燃える夕日はあの日の風景を想起させた。  そのとき、僕は小学生だった。小学何年生かはわからない。当時の記憶があまり残っていないからだ。ただ覚えているのは、夕日が沈むのと同じ方角に、地獄があったことだ。  その日を境に東京は瓦礫の街になった。僕は母親を、姉を探して歩いた。たくさんの死体が転がっていた。小学校には沢山の人が集まっていた。皆知らない顔だった。  母親を探して人の間を歩き回っていたとき、兵隊とぶつかった。顔に大きな傷があって、鬼のような顔をしていた。何より特徴的だったのは顔立ちが西洋風だったことだった。   話しかけても答えらしい答えは得られなかった。英語を理解していなかったのだろう。僕はしょうがないと思って立ち去ろうとした。その時、その兵隊は初めて僕の理解できる音を発した。 「わたしは西からキマシタ」  来ました、というところだけ訛りが入っていた。僕はそれどころではなかった。 「そうですか。さいなら」  兵隊は不思議な灰色の目で僕を見送っていた。  その後僕は叔母の家に引き取られた。叔母の家は福島にあった。トマトが美味しかった。桃が美味しかった。きれいな川があった。  僕は毎日その川に笹舟を流していた。笹舟は緩やかな流れに乗ってどこかへ流れていった。 そうやって過ごしていると、ある日母と姉の葬式があった。遺体は見つかっていなかったが、死んだものとして扱うことにしたらしかった。しばらくして父が戦死したという知らせが入った。僕は一人だった。  おばは優しい人だった。僕に財産を譲り、昨年亡くなった。僕も今年で50になる。  時たま思い出すことがある。本当は母や姉や父は生きているのではないだろうか。あの日、もし側にいたなら離れることはなかったのではないか。  空想してみることがある。あの灰色の目をした兵士の母国は、どこにあるのだろう。きっとそれは険しい山に囲まれた場所だ。彼は農村の一人息子で、年老いた母親は彼の帰りを待っている。夕飯の煙が煙突から上がる。西の果ての国だ。  戦争が終わっても、世界をまるごとひっくり返した大きな流れは止まらなかった。日本中、世界中は少しずつ、確実にあの日から離れていった。  笹舟は流れていく。なにか大きな力によって、笹舟は西へ流れていく。  太陽を追いかけて、太陽よりも早く朝につけるように。
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