一章

2/7
前へ
/8ページ
次へ
2 「……は?」 椅子に座り、呆けた顔で固まっている相手は、恐らくイレヴンの上司だ。 見た目は三〇代前半で予想よりも随分と若い上司というのが印象だ。顔のパースバランスは程良く整い、鼻は高めで、真っ白な透き通った肌と深紅の瞳を持った端正な顔立ち。そして最も特徴的なのは牙とも思える鋭く長い八重歯と尖り気味の耳。 相手はイレヴンと私を何度か見比べ、急に涙を浮かべたかと思えば、今度は笑顔になった。 「籍はいつ入れるんだ?お前にこんな可愛い相手がいたなんて知らなかったよ!いつの間に恋人ができてたんだ?それに子どもはもうで」 その最後の言葉を言い終わるよりも先に相手は地面を拝んでいた。イレヴンが上司を殴ったのだ。 「だ、大丈夫ですか!?」 私は鼻血を出して倒れている相手に駆け寄り服の裾で止血する。血というにはあまりにも赤黒かったが、それを意識する余裕もないほどイレヴンの行動に驚いていた。 「ああ、すまないね。もう大丈夫だよ。こんなに可愛い子の洋服を汚させてしまった。後ほど新しい洋服を用意させるよ」 相手は立ち上がると、私のことも軽々と立たせてくれた。彼の後ろに控えていた人に私の服を用意するよう命じるとその人は部屋を出て行ってしまった。そして残ったのはイレヴンと私とイレヴンの上司。上司が私を執務室の椅子へとエスコートしてくれる。 イレヴンは私の隣へ、イレヴンの上司は向かいの席へ腰掛けた。イレヴンは私の肩に手を置いて上司を指差しながら言う。 「こんな奴の手当てなんてする必要ないぞ」 その言葉にすかさず、負けじと言い返す上司。 「お前は!仮にも俺は上司だぞ!?殴って処罰されないだけありがたく思えよ!」 会話を聞いていると二人はもしかしたら上司と部下以前に友人なのかもしれないと感じた。 しかしながら立場上、上司に当たる人間を殴れば普通はタダではすまない。会話から察するに私の存在が今の二人の言い争いを生んだように感じられて申し訳なかった。 「それはすみませんね。俺の上司はマゾだって噂が」 「それはテメェが作ったもんだろ」 流石に上司が本格的に苛立ち始めると私も焦って止めに入る。 「イレヴンさん!それ以上、上司の方にご無礼はおやめください!」 その場が一瞬にして鎮まる。 「……何でお前まで驚いてるんだよ」 確かに自分でも想像していた以上に大きな声が出た。イレヴンはくだらないと気づいたようにため息を吐きながら微かに私に微笑んだあと上司に向き直った。 「君って本当に優しい子なんだね。……お前がそんな顔する日が来るとはな」 未だにイレヴンをおちょくる上司を私はキッと睨みつける。 「あなたも、お願いですからあんまりイレヴンさんが怒るようなことおっしゃらないでください」 「ん、まあ喧嘩両成敗ってとこだね」 そんな怖い顔しないで、可愛い顔が台無しだよ、なんて困り顔で言われれば、イレヴンの上司でもある方にこれ以上は何も言えない。 「それで?どうして彼女をに連れてきたんだい?」 また、だ。また私を消す予定だったと言う話。自分が誰かもわからない上に、彼らはどんな存在なのかも知らないが、本来なら私はイレヴンに消されていた。今更ながらに恐怖が蘇る。体が微かに震え出す。敵が目の前にいるのにどうして怖がらずにいられようか。 話し合いでどうにかならない相手だったら。上司が私を消さないことに同意してくれなかったら。 敵が目の前にいても自分が一人だという事実の方が辛かった。 (怖い。一人は寂しい。誰か助けて……!) そう思ったとき、イレヴンが私の肩をそっと抱いた。私は一瞬驚いて肩を震わせてしまったが、イレヴンは一層力を込めて抱き寄せた。それでも痛くないその気遣いに安心を感じてしまっていた。 「見ればわかると思ったが?」 「そうだね。僕の目が節穴になってなきゃ、大体の事情はわかる。でも消した方が君にとって楽だし、お前に彼女が可哀想なんて感情や正義感があるとは思えないんだけど」 イレヴンの優しさを感じたからか、上司の言葉は少し冷たい距離を感じる言葉だった。イレヴンが完全に私の味方になったとは言い難く敵のままだというのに、私はどうしてこうも彼に心を許しているのか。 「確かにはっきりとそういった感情があるわけじゃない。だけど俺は疲れたんだよ」 私は先ほどの恐怖が薄れた代わりに私の行先を左右する会話を緊張して聞き入っていた。 「……?それはどう言う意味?」 「……だから、仕事量が多すぎて疲れてんだよ」 私はなんだか会話が噛み合ってないような気がして不思議に思い、イレヴンを見つめたが彼はとても真剣な表情だった。 それに対し、上司は彼に呆れたように頭を掻いた。 「それってさっき僕が言ったことと何が違うんだ」 ボソッと言うが、イレヴンは無視して続ける。 「見た通り、こいつは俺達への恐怖心がない」 イレヴンと初めて会った路地でもイレヴンはそんなことを言っていた。まるで私は彼らを怖がるべきであり、そして彼らが誰であるかということがとても重要である、とでも言うように。それが何を意味するのか今の私にはわからないが、そのことに私の行く末が懸かっている。私の記憶が無いこととは別なのだろうか。 「つまりじゃないかと思ってる。勿論、記憶が戻ればどうなるかはわからないがな」 どうやら私の今後は記憶ともあながち無関係とは言い難いらしい。 「そうだね。お前と同じである確率は高いだろうさ。でもお前と同じ待遇をされるかどうかはまた別だ。今より酷な状況になるかもしれないよ?」 その言葉に私は緊張する。それでもイレヴンは私を消すことも危害を加えることもしない気がした。だから恐怖はない。 「何も知らずに消されるよりは良いだろう。それにまだどうなるかは決まってないんだ。最高の役職を与えられるかもしれねえじゃねえか」 そう挑発するように笑った彼は本当に楽しそうだった。それに比べて上司は理解できないという表情でイレヴンを見た。 「お前……それはまさかのことを言ってるのかい?それは流石に無理だよ」 「……無理かはやってみねえとわかんないだろ」 二人の雰囲気から緊張が伝わってくる。二人に私をどうするかの権限はないようだから、尚更緊張しているんだろう。 だがやってみる云々以前に私に説明をして欲しい。会話の様子からやってみなきゃわからないなら私の行動次第ということだ。なら私にも知る権利があるだろう。 「あの、すみません。とは何のことですか?」 そう聞けば二人はお互いに目を合わせ、一呼吸置いてから私をみて言った。 「「十三仏だ」」 「……はい?」 「まあ悪を裁く裁判官ってとこだ。俺達は所詮悪人を痛めつけるだけの拷問官で、十三仏は俺達よりも上位の存在。まあ実際には三仏は二つの役割を持つから実質的な人数は十人だけどな」 イレヴンが説明してくれるが、十三仏についてはよく理解出来なかった。なぜ私がそれになれると二人は思ったのだろう。 「私がその十三仏に相応しいと?」 私の問いには上司が答えてくれる。その答えを知ったところで記憶のない私はどうすれば良いのかわからないのは変わらないが。 「それはまだわからない。そもそも一介の亡者が獄卒になる例も稀なんだよ」 それ以上に衝撃な回答をされて私は気が飛びそうになった。普段の会話で絶対に口に出すことはないだろう。この人達は新興宗教にでも入ってるのか。私は怪しい宗教に勧誘されてるのか。 「待って下さい……。亡者とか獄卒とか、なんのことを言ってるんですか?もしかして新手の宗教に勧誘でもするつもりなんですか?」 今まで安心していたイレヴンはやっぱり信用ならない相手だったのだろうか。 「まさか、お前記憶が無いってことは……自分が死んでることにも、気がついてなかった、のか……?」 イレヴンが驚く。そこで上司の方もチラッと見るが、彼はイレヴンとは違って何かを後悔するような表情だった。イレヴンの言葉に、驚きも嘘も、感じていないようだった。私はもう一度イレヴンを見る。 (どうしてあなたが驚くのよ。驚くべきは私でしょう。何なの、私がもう死んでるってどういうことよ。イレヴンにも触れるし、私もここで息をして存在して——) 息をして——? (呼吸ってどうやるんだっけ?) そんなのは嘘だと、そう言うオカルティックな宗教で惑わせないでと言いたい。言いたいのに、私は言われて初めて気づいてしまった。 自分が息をしていないことに——。 急に苦しくなる。まるで今まで息をしていなかった分が押し寄せるように。胸が息苦しくて、なのに呼吸の仕方がわからなくて、胸が苦しくなるから声も出せない。イレヴンが心配して私の手を取って体を支えてくれるけれど、そんなイレヴンの顔も苦しくて涙で滲む。二人の姿も見えなくなっていって、誰の声も聞こえない。自分の嗚咽すらも。何も、聞こえないし、何も、見えなくなってしまった。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加