一章

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3 突然彼女は苦しみ始めた。呼吸なんて元々してない筈なのに何故か呼吸出来ずに苦しんでいるように見える。 急いで支えるが、彼女は視界が霞んでいるのか焦点の定まらない瞳で俺を探していた。俺は彼女の上体を支えながら声をかける。 「大丈夫か!?どうしてそんなに苦しんでる?!俺にどうして欲しいんだ?!」 俺が必死に声をかけるが、相手はもう何も見えず聞こえもしないようだった。 「聞こえないよ。ダメじゃないか。お前は本当に考え無しだな」 そんな風に笑うコイツを猛烈に殺したい欲求に駆られるが、時間が惜しい。 「そんなこと言ってる暇があるならどうにかしてくれ!どうせ対処法を知ってるんだろ?」 俺は今ほど自分の無知を恨む日は無いだろう。何故か彼女を助けなければならない使命感に支配されている。 「知ってるけど。その様子なら僕たちが手を下す前に、十王様に裁かれる刻が来るんじゃないかな。君はどうしてそこまで彼女を助けようとするんだい?」 その言葉に俺は思考が止まった。俺も感じていたが考えることを拒否していたこと。 (何故、俺はこれほどまでに彼女に執着してるんだ?) わからない。自分が何故こんなに焦っているのかも、彼女を理由も、コイツの言ってることが正論だなんて分かりきっているのに。 「……でもそんなこと関係ないんだよ。俺は今、彼女を助けるべきだと判断したんだ」 「お前、本当に俺を上司だと思ってる?仕方ないなあ」 そう言って立ち上がると彼女の後ろへ回り込み、あろうことか彼女の首に手刀打ちした。 「なっ……!?」 「お前も知ってるだろ?亡者ってのは身体的苦痛や心痛が本人の限界を超えると悪霊化や成仏に繋がるんだ」 「それはそうだが……」 それは知っている。そして彼女が亡者であることも事実。それでもやはりコイツのやり方に快く賛成は出来なかった。 「おいおい、そんな顔するな。アザになるほど強くやってないから。ただなんだから。目が覚めたら彼女も少しは落ち着いてると思うよ」 確かに気絶した彼女は先ほどまでとは打って変わってとても穏やかな寝息を立てている。俺はほっと一安心し、そんな安心している自分にまた戸惑う。 「ほら、ぼーっとしてないで彼女を仮眠室に連れていって」 この世界にも仮眠室があって良かった。俺達が使うことは殆どないがこういう時には役に立つ。 彼女を抱え仮眠室までの長い廊下を歩く。道中、他の獄卒に奇怪な物を見る目で見られたがこの視線には慣れている。どうせ危害を加える度胸もない小物ばかりだ。 そう思ってやり過ごしていると誰かが俺の肩を叩く。 「なあイレヴン、それ亡者だろ?消さないのか?」 「……なんだテン、お前暇なのか」 「そんなの興味ないくせに聞くなんて珍しいなあ。でも正解。僕の今日の仕事は終わり」 少しくぐもった声で微笑を溢すのは、俺の後輩を自称するテン。テンはこの世界に来たときから仮面をしていた。何故仮面をしているのかは誰も知らないし、聞いても答えない。仕事は出来るので上も黙認している。 「……仕事が無いなら彼女診てくれないか」 この世界では珍しく、現世の医療に精通している鬼だ。この世界に存在するのは獄卒と亡者だけ。獄卒は死んでも生き返るし、亡者はこの世界で死ねば成仏する。本来なら使い所のない知識だ。しかし、だからこそ助かった。 「本当に珍しい。相当大事にしてるね。その子何なの?」 俺はテンを見つめる。テンが仮面を外したことはない。だから仮面の下の表情がどうなってるのかは誰も知らない。火傷の痕とか怪我だとか、はたまた整いすぎてるだとか噂は沢山あるが、結局誰も見たことがない。 テンは言動や行動がちぐはぐだったり理解できない行動をしたりすることが多々ある。 そりゃあ鬼だから人間の理解の範疇を越える行動をすることがあるのは理解できる。 だがテンの場合、俺は意味の無い行動に感じられないから不気味なのだ。周りはそうは感じていないようだが——。 俺はテンが言動や行動とは裏腹に胸の内で何を考えているのかわからない。 今のところ害はないので放っておいているが、信用してはならない。 「……セブンティーンに仮眠室に連れて行くよう頼まれたんだ」 「そうなんだ。じゃあ一緒に行こうか」 俺はあまり深く考えずにテンと一緒に仮眠室へ向かった。 何か物音がする。風の通り抜ける音——いや、これは誰かの呼吸音? 「……っん」 目を覚ませば目の前には一面真っ白な天井。そうか、私は目を覚まし—— 「っ!……ぅあ、はぁっ……」 うまく息ができない。さっきまで自分はどうやって喋っていただろう。咄嗟に隣で眠っているイレヴンに手を伸ばす。その手をイレヴンはしっかりと取って私の目を見据えた。 「……落ち着け。お前なら思い出せる。もう息をしなくても苦しくないんだ。何か言葉を発すれば落ち着く筈だ」 「……っぃ、れゔ……ん。……ぃレヴ……ン。……イレ、ヴン」 「ああ、ここに居るぞ」 その言葉にどうしても涙が止まらなくなる。どうしてあなたはそんなに優しくしてくれるの。私を成仏させるつもりだったんでしょう。 「な、なんでだ!どうして泣くんだよ……」 慌てて不安がるイレヴンが可愛くて微笑む。 「イレヴンが、すごく……私に、優しくして、くれるから……」 「なっ……」 顔がみるみる間に赤くなる。彼らは鬼だと言っていたが、赤くなるのを見るに、鬼にも血が通っているらしい。それで呼吸をしなくても良いとはどういう原理なのだろう。 そんなことを考えながら体を起こす。 「照れてる、の……?でも、本当の、ことだよ?初めて路地で、会ったときから、イレヴンはとっても、私に優しくしてくれる。だから本当に嬉しいの。ありがとう」 イレヴンの手を両手で握り返す。イレヴンは帽子を深く被り直してしまって顔は見れないが、耳が赤みかがっているのが見えてしまっている。そういえば彼の耳は上司のようにとんがってはいないようだ。 「フン、イレヴンと呼んだりイレヴンさんと呼んだり、統一したらどうなんだ。……まあ、お前に敬語はあまり似合わないがな」 それはつまり近い距離感を望んでいると取って良いのだろうか。確かに彼は上司にもタメ口で話すような距離感の猛者だ。タメ口を許されたのは良い傾向だと言えるのだろう。 「ふふ、それって呼び捨てして欲しいって言ってるの?」 「……ああ、そうだ。俺と仲が良いと知れば他の獄卒は簡単にお前に手出しできなくなる。この世界では極力俺と行動しろ。これはお前が寝てる間に決定された確定事項だ。上も認めた」 目を覚ますより前に見た彼の表情より幾分疲れているように見える。おそらく相当、上とやらに掛け合ってくれたのだろう。 彼にとって私とはどんな存在なのか、意識してしまうのは仕方ないことだったと言えるのかもしれない。 「認めさせたんでしょ?」 私が正直に言えば彼は図星をつかれたからなのか、それとも照れ隠しかは分からないが相変わらずの物騒な発言がイレヴンの口から出てきた。 「……俺も君を殺すことが出来るのを忘れないでくれよ」 その言葉で私は自身の心臓が彼に握られていると思い知る。恐怖が蘇りそうになるが、まだ大丈夫。きっとこれからお互いのちょうど良い距離感を掴んでいける。何故か彼とならこの世界でも生きていけそうな気がしている。 だって私はまだここで、この世界で。 「そんな風に怖がらせようとしないで。どんなにイレヴンが脅しても私は正直でいるし、手を伸ばす。いつかイレヴンが私の手を掴み返してくれるまで」 私は少しの気恥ずかしさもなく、真っ直ぐイレヴンの瞳を見つめた。 「そんなこと言うもんじゃないぜ。俺は本当にいつか君を成仏させるだろうから」 消す、と言わなくなっただけ私にとって良いことで、イレヴンが前進したと感じる。 「イレヴンの胸の内に触れる前に成仏させられるならそれも私の運命(さだめ)だったの。だから受け入れる。きっとそれもイレヴン、あなたの意志だから」 イレヴンは私と目を合わせてかすかに笑った。 「……分かったよ、もう脅さない。だから絶対離れるなよ」 「ええ、勿論。絶対に守ってよね」 イレヴンが頷く。その時カーテンの向こうから声が聞こえた。 「……あのさ、そろそろ入って良い?」 「えっ!……まさか他にも人が……!?」 あんなに恥ずかしいことを言った後でどうすればいいか困惑する。その間にも声の主はカーテンを開け放ち、私へ近づいてくる。 「俺の後輩だ」 淡々とした様子でイレヴンが話すのを見ると、イレヴンは彼が居ることに気づいていたらしい。 「まさかイレヴン、気づいてたの!?」 「ああ、それなのにお前がどんどん恥ずかしい言葉を口にするからどうすれば良いのかずっと迷ってた」 そう言いはするが、先程までの微笑みは消え、至極真顔で答えた。 「なんで言ってくれなかったの!」 私がそう言えば罰悪そうに視線を逸らした。 「にしても、イレヴンがこんなに女性に弱い奴だなんて知らなかったな」 テンとイレヴンの会話を聞いてれば、この世界での上下関係は必ずしも現世と同様ではないと理解できた。 「イレヴンは出会った当初からとても優しかったですよ」 私がイレヴンに助け舟を出したつもりが、尚更テンに火をつけてしまったようだ。 「なんてことだ!この仏頂面が女の子相手には微笑むなんて詐欺じゃないのかい?」 「確かに始めは怖かったんですが、話せば分かり合える相手でしたから」 「そうか。良かったね……二人とも」 この人は仮面を被っていて表情は読めない。でもきっと悪人じゃない。それはなんだか感じた。
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