mardi

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*** 「東川(ひがしかわ)くん遅刻ですよ」 「すいません。通学路でフランスパンに殴られまして」 「登校中にフランスパンに襲われた生徒は私の教師人生で東川くんが初めてです」 「何でも初めてって大変ですよね」 「そうですね。早く着席してください」  担任の淡々とした指示に従って俺は自分の席につく。  それから何事も無かったかのように担任はホームルームを開始した。俺の言い分に納得したのかはわからないが見逃してもらえたようだ。  初めての遅刻だったからか、もしくは単に対応が面倒だっただけかもしれない。 「さて、今日は最後に転校生を紹介します」  ホームルーム終盤の担任の台詞にクラス中がどよめいた。きっとこの教室でこの展開を予期していたのは俺だけだったろう。  担任が「では入ってきてください」と入口に向けて呼びかけると、教室の戸がからりと開く。  向こう側には予想通りの顔が立っていた。 「今日からこの学校に転校することになりました。中原小麦(なかはらこむぎ)です。よろしくお願いします」  さっき十字路でぶつかった彼女がそこにいた。中原というのか。突然現れた美少女転校生に男女関係なく沸き立っている。  俺は中原の口元に目をやった。さすがにもうバタールは咥えていない。「親が転勤族で」と彼女が挨拶をしているときも俺の頭の中は『火気厳禁』でいっぱいだった。 「中原さんは横浜から引っ越してきたんですよ」 「これが都会の美少女……!」  担任の補足情報にクラスメイトがさらに熱を帯びているときも俺の頭の中は『火気厳禁』でいっぱいだった。考えないようにしようと思えば思うほど、頭のあちこちにこびりつく。  ひとまず俺は机の下でこっそりとスマホのブラウザアプリを立ち上げた。  考えないようにするのは諦める。『火気厳禁 バタール』と検索をかけてざっと結果を流し見るが、めぼしいサイトは見つからなかった。  一回落ち着こう。俺は深く息を吸って、吐いた。  しかし冷静になって考えても意味がわからない。どうしてバタールに『火気厳禁』なんて印字する必要があるんだろう。  火気厳禁。ってことは火に近づけちゃダメってことだ。  つまりトースターで焼かずに食べたほうが美味しいですよ、ってことか?  いやそりゃ美味しいかもしれないけどトーストしたい人だっているだろ。選ばせてくれよ。そもそもパンって作ってる時点ですでに火通されてない? 「――あ」  ぼんやり前を向いたまま他の可能性はないかと考えていると、不意に中原と目が合った。  俺の顔を見て今朝の出来事を思い出したのか、中原は露骨に嫌な顔をする。  これこそまさにラブコメ的展開なんだろうけど、悪いが俺は今それどころじゃない。 「おや、ちょうど東川くんの隣が空いてますね。中原さんの席はそこにしましょうか」  お約束通りの台詞を放つ担任が手で示す先を見て、中原は眉間の皺をさらに深くした。  なんだよ。教室最後方窓際の好立地だぞ。
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