mardi

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 彼女は「……はい」と小さく呟いて、こちらに向かって歩いてくる。  都会の美少女が歩いたぞ。それだけでまたクラスは盛り上がり、その中にはあまりに幸運な俺へのブーイングも混じっていた。 「よろしくね、東川くん」  俺の机の前で一度立ち止まった中原はとてもぎこちない笑みを見せた。俺もたぶん同じような顔をしている。 「よろしく、中原さん」  口を動かすと、頬にピリッと痛みが走った。  思わずそこに手を遣ると、それが嫌味に見えたのか、中原はふんと鼻を鳴らして席に座った。彼女は彼女でパンの恨みが蘇ったのかもしれない。濡れ衣だが。 「みなさん仲良くしてくださいね」  担任の言葉にクラスメイトは「はーい」と元気に返事をする。美少女はクラスの団結を強めるのだと知った。  しかし俺はそれどころじゃない。  中原はあの『火気厳禁』のパンをもう食べきってしまったんだろうか。  もう少しよく見てみたかったんだが。そうすれば何か作者の意図のようなものが見つかるかもしれないのに。  てか食べるの速すぎないか? あの十字路から学校まであまり距離はない。しかも中原はクロスバイクのスピードで走っていた。その一瞬でバタール一本を腹に収めるなんてできるだろうか。都会の美少女のポテンシャルには疎いのでなんとも言えない。  人はバタール一本を何秒で食べきれるものだろう。  想像してみるが、そういえばまだ計ってみたことがない。いや当たり前か。そんなの計ってたらフランス人もドン引きだ。 「……はっ」  ホームルーム終了のチャイムの音が鳴って、俺は我に返る。どうやら考え込んでしまっていたらしい。  意識を取り戻した俺の視界には新品のようにピカピカで真っ白な制服が映っていた。太陽の光を燦燦と浴びたその白は滑らかに輝いている。  それは隣の席に座る中原小麦のブラウスだった。  すでに彼女に飲み込まれてしまったバタールに思いを馳せていたせいで、無意識に俺は彼女の腹部を凝視していたようだ。  その視線を少し持ち上げると、これ以上ないほど引き攣った顔で中原はこちらを見ていた。その瞳には恐怖すら浮かんでいる。 「…………」  そして、無言で彼女は目を逸らした。  さっきまであんなに騒がしかった教室が音一つなく静まり返っている。さっき「みんな仲良く」と謳っていたはずの担任まで言葉を失っていた。  ……うん、これはアレだな。  あらゆる状況を鑑みて、俺は冷静に判断する。  これは完全にラブコメチャンス逃したな。
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