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いつになっても蕗果先輩のもとから離れることができなかったのは、きっとこのせいだと思った。彼のトランペットをもつはずの指が、心なしか変色している気がした。
トランペットを演奏したことはないから、当然のこととなるとだいぶ気恥ずかしいのだが。だけど、私はこれに心当たりがあった。
楽器のボディが光を反射して、蕗果先輩の指元を映し出す。その色が私の目に飛び込んできて、確信……いや、躊躇いが微かに残った不完全な確信を得た。
「蕗果先輩、ちょっと左手を見せてもらってもいいですか?」
一瞬、自分でも何をいっているのか理解できなかった。蕗果先輩から許諾を得る前には、既に彼の左手を掴んでいた。
そういえば、と思い返す。ゴールデンウィークの練習のためのスケジュール管理で、蕗果先輩から金管楽器パートの紙を受け取ったときにも、指の先が少し黒ずんでいた。あのときはとにかく頭が及第点を目指すことだけ精一杯で、気づけなかったのだろうか。
今、目の前には以前と同じように黒くなった指先が見えていた。左手を奪われたまま、蕗果先輩は楽器をもって硬直する。何度か口を開いているが、その度に閉じてしまう。
いつか、私はヴァイオリンの発表会のために、長時間ヴァイオリンを練習したことがあった。楽器をケースにしまった後は、肩が痛くて、弦を押さえていた左手の指先が硬くなっていた。それは毎度のことでもあったから気にはしていなかったけど、指先は硬くなっただけでなく、黒くもなっていた。
蕗果先輩に視線を移す。
彼は力なく肩を落とした。ため息らしいものついてから、視線が床に落ちる。彼の長いまつ毛が瞬くのが見えた。
「……在郷、今日の放課後、空いてるか?」
蕗果先輩はようやく、掠れた声でそういった。
軽く掴んでいた蕗果先輩の手は微動だにしない。炭がついたように黒くなっている指先は、力なく私に身を預けていた。
なぜか息が詰まる。触れてはいけないものに、触れてしまったような気がした。
「……一応、空いてます」
恐ろしかった。佐久衣がいなくなってから、蕗果先輩は何か大きなものと闘っているような気がして。冷静沈着だけど、内には毒を秘めているのではないか。蕗果先輩の何かがきっかけで湧き出してしまったら最後、私たちには手が出せなくなってしまうほどの毒が。
譜との練習はもう終わっている。本当のことであるけれど、たとえ予定が埋まっていても、こう答えなくてはいけないような気がした。
蕗果先輩の手を離す。今更、先輩に対して何をしていたのかと反省した。
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