ロイヤルブルー

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 狭い、狭い、狭い──  身動きが取れずもがいてみるけれど、もがいてみたところで、だった。  暗闇と、静寂。このふたつが重なると、恐怖すら覚える。  どんなに目を凝らしても、ここにはわずかな光もない。どんなに耳をすましても、何も聞こえない。  次第に、これはただの闇なのか、自分の目がおかしくなってしまったのか分からなくなる。手のひらをどれだけ目の前に寄せても、そこにあると分かっていても全く何も見えない。手を叩いたところで、手のひらがぶつかっているだけだった。  どうしようもなくて、見えない手のひらを見つめていると、頭の中にゆっくりと色が入ってくる感覚に陥っていく。たくさんの色が、ゆらゆらと変化してひとつの絵を描いている。どんどん色が重なり、はっきりと形が見えそうになった瞬間はっとなった。思い違いでなければ、その絵は僕の記憶だ。  先週、仕事帰りにたまたま立ち寄ったカフェの窓から見えた風景とものすごく似ていると思った。その日は普段よりも仕事が早く片付き、ひと息つこうとチェーン店のコーヒーショップに入った。ガラス張りのカウンターの席から、見るともなくぼんやりと窓の外を眺めていた時のあの風景を切り抜いたものだと、次第に確信に変わる。  ぴくりとも動かないこの絵が、一体なんだというのだろうか。  あの日と同じようにぼんやり眺めていると、どこからともなく悲しいという感情がふつふつとわいてきた。涙こそ出ないけれど、胸の奥の誰にも触れられたことない場所を、無遠慮にぎゅっとつかまれたような気分だ。  この絵の中に、僕の心を動かす何かが隠れているのだろうか。  色のあった風景が、徐々にその色を失い、濃い霧のようなものに覆われて見えなくなる。あっという間に、闇の中に引き戻された。  何を伝えようとしているのだろう。思ってから、誰が、となった。誰かが、僕に何か伝えたがっているのだろうか。  もしも本当に僕の記憶なら、自分でわざわざこんなことをするだろうか。それなら、僕ではない誰かがそうしている方がしっくりくる。  誰だ、誰だ、誰だ──  反射的に、まぶたをぎゅっとつむる。  霧が晴れるのが恐ろしく遅い。思い切り息を吹きかけて飛ばしたくなるほどのろのろと動いている。  再び、頭の中に色が入ってきた。今度は単色だった。そのロイヤルブルーを、やっぱり僕は知っていた。  瞬間、全身が粟立った。  ──ロイヤルブルーは、僕の恋人が着ていたふわふわのカーディガンだ。クリスマスに、絶対に彼女に似合うと思いプレゼントしたものだ。予想通り、いや、予想以上にぴったりで、可愛くて、ずっと見ていらると思ったのもつかの間、興奮した僕は、すぐにそのカーディガンを脱がせてしまったのを覚えている。  彼女は、その年の最後の日、この世からいなくなった。数十年ぶりの寒波で大雪に見舞わられ、コントロールの利かなくなった車が歩道に突っ込んできたのだ。  どれだけ謝罪の言葉を聞いても、どれだけ頭を下げられても、何ひとつ耳に入ってこなかった。怒りよりも、喪失感の方がはるかに大きく、何も手につかない、どころではなかった。  友人に勧められた精神科に足を運んではみたものの、その一度きりだけだった。  何もやる気が起こらなかった。だから、僕は彼女のあとを追った。  そうだ、そうだ、そうだ──  僕だけが息をしていることに耐えきれなくて、あの日僕は、自らの命を絶ったのだ。それなのに、これはいったいなんなのだろう。生きているわけではなさそうだけれど、死んでいるというにはどこかがおかしい気がする。  俗に言う、あの世とこの世の間と呼ばれる場所にいるのだろうか。それにしては、感覚が現実的すぎる。  頭の中のロイヤルブルーも、先ほどの風景と同様早々に色を失ってしまうのかと思いきや、すぐには消えなかった。けれど、それも良かったのは初めのうちだけで、彼女との思い出があまりにも生々しく頭の中に入ってくるものだから、危うく生きていると勘違いしそうになる。  すでに息絶えているはずなのに、苦しくて、苦しくて、胸元にそっと手を添えた。きっと、生きていた時の経験から、無意識に苦しいという感情を引っ張り出したのだろう。
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