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今宵の味に勇気を
「おーっす」
「ちっすちっす」
毎週金曜日の仕事終わり。彼と夕食を食べてからどちらかの家に泊まる、というのがお決まりとなってから早数ヶ月。俺は、一つの決意を胸にして待ち合わせ場所に辿り着いた。
新規案件の担当として出会った俺らは、初めての打合せで妙に意気投合しプライベートでも付き合う仲になった。そしてそのまま、より深い仲になったわけなのだが……。
目的地を目指して、携帯の画面と現実の街並みと視線を往復しながら進む彼の横顔をちらりと盗み見る。彼と俺は同じ営業ではあるけれど、トーク力は断然彼の方が上手で。いつも彼のペースに振り回されている俺は、ある言葉を自分から言うことができないでいる。
だから、今日こそは絶対に、俺の口から――。
「お!」
隣から聞こえた明るい声に、顔を上げる。どうやら、目的地に着いたようだった。
「何でも好きなもの頼めよ~。もちろん自腹だけどな」
彼は予約をしていたようで、店内に入るとすぐにカウンター席に案内された。席に着いてすぐ、まだ注文もしていないのにバシバシと俺の肩を叩いてくる彼は、まるで酔っている時の絡み方に近い。
待ち合わせ場所の駅から歩いている時に聞いた話では、『天ぷらが食べたい』と言った俺の望みを叶えようと社内の同期や先輩におすすめを尋ねて回ったらしい。その結果、落ち着いた雰囲気の、まさにしっぽり飲むという言葉が似合う隠れた名店に辿り着いたのだから、多少得意気になるのもわからなくはないけれど。
卓上型のお品書きに目を通して、何が良いかと吟味する。種類も豊富で、単品で注文できるというのはとてもありがたかった。
「とりあえず、一杯目はビールでいいよな?」
「あぁ」
「生ビール二つ。と、俺は穴子、蓮根、かぼちゃ、紅生姜の天ぷらと魚介のかき揚げを」
「俺は……なす、舞茸、大葉、さつまいも。それと……きす、を」
あまりに意識しすぎていた俺は、最後の最後で言葉に詰まってしまった。店員とのやり取りもそこそこに、気恥ずかしさからぎこちなく彼の方に顔を向ければ、彼はじっと俺を見ていた。
まさか、バレた……?
しかし、彼の口から出てきたのは予想の斜め上を行く言葉だった。
「お前、もしかして……。海老と悩んだとかか?」
「……は?」
「分かるぜ、その気持ち。そろそろ油物がきつくなってくる歳だからな。だけどな、心配しなくていい。先輩の話によると、いくつでも食べられそうなほど美味いとのことだ。今注文したのを食べて、また注文すればいいだけの話よ」
「あー、あー、そうね、そうそう! 品数が多いから、悩んじゃってな~」
彼の勘違いに合わせて誤魔化しながら、安堵のため息を一つ。
今の注文で口にするのすら精一杯だったのに、はたして、俺は自分から言うことができるのだろうか。先程までの決意はどこへやら、俺は一気に不安になってしまった。――いや、これくらいで諦めてどうする。今日はこれでお別れというわけではないし、まだまだ夜は長いのだ。
俺は、改めて決意を固めて、ちょうどやって来た生ビールのグラスに手を伸ばした。
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