月の光は届かずとも

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月の光は届かずとも

「ご主人様、これは何ですか?」  従者として仕えたばかりの青年は、主人である男の部屋に就寝前のお茶を持ってきたところだった。ティーポット、ソーサーとカップの載ったトレイをベッドサイドのテーブルに置いて準備をしようとした時、見慣れないものが目に留まった。  ご主人様と呼ばれた男は、青年が興味を示した小さな箱――薄青に金色の装飾が施されている――に手を伸ばすと、ぱかりと蓋を開いた。箱の中は全体をワインレッドの生地で整えられ、蓋の内側にはネジのようなものが付いていた。 「僕が地球に留学していた頃、仲良くなった人から貰ったものでね。オルゴールというものらしい」 「へぇ……。素敵な贈り物ですね」  青年がカップにお茶を注ぎながら話を聞きたいとお願いすると、困ったように笑いながらも、男はぽつりぽつりと話し始めた。もう遠い昔のことであるのに、今でも昨日のことのように思い出す。彼との最後の日のことを。    ◇  男が留学期間を終えて地球を発つ日、彼から思い出にと薄青の小箱を渡された。小箱の正体が分からなかった男が蓋を開けると、蓋の内側のネジが回るとともにメロディーが流れ始める。初めて聴く旋律に、男の心は一瞬のうちに奪われていた。 「よかった、気に入ってくれて」 「美しい曲だ。とても僕好みの」  男が静かに蓋を閉じると、合わせて音も止まった。 「でも、どうしてこれを?」 「月が好きみたいだったから。これを聴いて、一緒に月を見た夜のことを思い出して」  自身の質問と彼の返しが繋がらず、男は首を傾げた。  彼が言った通り、男は彼と月を眺めた夜があった。彼曰く「今年の十五夜は久しぶりの満月」なのだと。夜空に浮かぶ、丸くて黄色い、どこか神秘的な雰囲気を纏ったそれは男の故郷では見えないもので、物珍しさもあり長い時間見入っていた。彼は、その姿から男が月が好きなのだと思ったようだ。 「そうだなぁ。答えは箱の底に、なんてね」  このやり取りを楽しんでいるのだろう男に従うがまま、蓋が開いてしまわないように押さえて箱の底を見ると、曲名が書かれたラベルが貼られていた。そこから彼の言葉の意味を理解した男は、ふふっと笑みをこぼした。 「ありがとう。大切にするよ」 「そうしてくれると嬉しい」  それが、彼と交わした、最後の言葉だった。    ◇ 「――なるほど。そのおるごーるというものは、ご主人様の思い出の品なんですね。でも、ネジを回してももう音が流れないですが……」 「遠い昔のことだからね。壊れてしまったんだろうね」 「そうですか……残念です。どれくらい前のことなんですか?」  しょんぼり、と言った表情で青年が肩を落とす。男は一口、お茶を口に含んだ。 「地球の時間で言うと、五百年と十二年前のことだよ。忘れるわけがない」  もう自ら鳴ることはない琴を愛おしそうに見つめて、男は箱の縁を指でなぞった。
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