病室に鳴り響く、じいさんのおなら

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「夢枕さん、失礼します。痛そうですね、大丈夫ですか? お茶のおかわり入れてきましょうか? 昨日はよく眠れましたか?」  ベッドで寝ているだけの私に、自分の母と同年代くらいの看護師や掃除の方は優しく声をかけてくれる。仕事とはいえ、その言葉が意味する優しさは、心に染みた。同時に、少し罪悪感も得た。  そういえば母親は元気だろうか。昔、私は一度だけ入院したことがある。それは子供の頃、高熱が出たときだった。入院したのは少しの間だけだったと思うが、今でもその部屋の様子は思い出せるので、とても印象深かった数日間だったことは間違いない。そのとき私は初めて、家以外のところで一晩を越したのではなかったろうか。不安で不安で仕方ない三、四歳くらいの私の横には、青い網のような素材のものを吊るして臨時ベッドを作った母が寝ていた。寝心地はすこぶる悪そうだった。  今でもハンモックを見ると、やけに懐かしく感じるのはそのせいだろうか、気のせいだろうか。  そうだ。あの頃は母なしには何もできなかった。母が近所のスーパーに行くだけでもついていき、その度にお菓子やおもちゃを手にして、満足げでいた。母が外出して留守番しているときには、何度も時計を見た。当たり前だが散髪するのでさえ、ついてきてもらわないと行けなかったのだ。  だが今の自分も、看護師の方々がいないと何もできない。まるであの頃に戻ったようだった。四人部屋だったが、窓側のベッドだったので気がつくと空を見ている。生涯で一番空を見ているのではないか、というほど見ている。そして空をずっと眺めていると、きまって小学校時代のことを思い出す。あのころは、比較的空が身近にあったからだろうか。  好きだった女子からプリントを受け取るときの緊張感。授業中、問題が順々に生徒に当たっていって自分の列に来たときの緊張感。卒業式で名前を呼ばれて「はい!」と返事をするときの緊張感。とにかく、よく緊張していたな、あのころは。  そういえば、懐かしいという思いはあっても、楽しかったに直結することは少ない。印象深いのは、クラスのガキ大将的な子に突然教室の真ん中で投げ飛ばされたり、今では考えられないくらい怖い担任の生徒がいたり、真隣にいた子が突然割れた窓ガラスが腕に刺さって血まみれになったことなど、あまり思い出したくない記憶ばかりだ。  そのようにノスタルジックな想いは、たまにならいいが、ずっとはしんどくなる。  それを教えてくれるかのように、隣のベッドで寝ているおじいさんは音を鳴らし続けてくれていたのだろうか。  プゥ〜〜〜    今を生きろ、と。
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