公園の男

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 亜希がぬいぐるみの撮影を始めたのは2年前で、世間が感染症の拡大に喘ぐ最中のことだった。「エッセンシャルワーク」という言葉が定着して、まさしくそこに身を投じている亜希は毎日忙しかったが、気晴らしに買い物や日帰り温泉などに行けなくなり、ストレスが溜まった。そんなある日、流し見していたネットのニュースで、自分ではなくぬいぐるみの写真を、出かけた先で撮っている人たちの話題を見かけたのだった。  砂浜で美しい海を眺めるパンダ、電車の窓枠にお座りして風景を楽しむ白い子犬。可愛いと思った。亜希は実家から持ってきた幾つかのぬいぐるみの中で、一番大切にしているうさぎのももちゃんをモデルにして、自分も撮ってみようと決めた。  「もものかいぬし」の名でSNSのアカウントを作り、スマートフォンで撮ったももちゃんの写真を数枚アップすると、想像以上に受けた。単純に嬉しくて、以来週に1回は新作を上げるようにしている。  どちらかというと無趣味で、大学を卒業してから、同じ職場の人以外との交際が無かった亜希は、SNSの人間関係の拡張に驚嘆した。顔はわからないけれど、そこには写真が好き、ぬいぐるみが好きと言う人が沢山いた。そして、ぬいぐるみを撮影するのが大好きな人たちも。彼ら彼女らと繋がるようになり、亜希のSNSライフは充実していた。 「目的地に到着しました」  社用車のナビの声に、亜希は辺りを確認した。左手前方に、「ぬくもりぬいぐるみ病院」の看板が光っている。ウィンカーを出し、車をそろそろとその建物の前に寄せ、停めた。18時10分前、予定通りである。  眼鏡をかけて車外に出ると、建物のドアが開いたのが見えた。中から出てきた男性が、おそらく担当のおおにしさんだろうと目星をつける。
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