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晴れた湖畔
十九世紀の湖畔。
彼は湖のそばに座っていた。
空は青く高く、時折吹く風と葉ずれの音が心地よかった。
彼は耳を澄ましていた。
肩に頭をのせた長い金髪の恋人は、かすかに寝息を立てていた。
その息が、ふと止まった。
彼は待った。
恋人はドレスの裾を鳴らし、目をこすって身を起こした。
「目が覚めたようだね。」
「やだ……。私ったら、せっかくのデートなのに、ずっと眠っていたのね。」
「仕方ないよ。気持ちのいい陽気だ。
何か飲むかい?」
「ええ。」
「紅茶でいいかい?
ポットのだけど。
砂糖は3つだよね。」
「ありがとう。」
彼は起きてしまった恋人に飲ませる紅茶に白い粉を匙で3杯淹れた。先ほどより、盛りを多めにして。そして静かに混ぜて溶かした。
「さあ、どうぞ。」
「ありがとう、なんだかとても喉が渇いているわ。」
「意外と熱いから、気をつけて。」
「ええ。」
恋人は紅茶をゆっくり飲んだ。
そして、ぜんぶ飲みきらないうちにカップを落とし、彼の肩に倒れるようにして、また眠った。先ほどの眠気が、まだ残っていたようだ。
彼は言った。
「ちょっと、馬車にブランケットを取りに行ってくるよ。」
そう言って恋人の両肩を支えながら立ち上がり、草の上に横たわらせる時に少しだけ力を入れて押した。
そう、仮に誰か見ていたとしても、わからないように。
湖を囲む木々を外へと抜けていく彼の背後で、恋人はゆるい斜面をゆっくりと転がり出した。
ーー バシャン!
その場に似つかわしくない派手な音がしたが、彼は空をふり返っただけだった。
そう、まるで鳥が飛び立ったと勘違いしたように。
そしてそのまま、馬車にブランケットを取りに行った。
眠る恋人に掛けてあげるためのブランケットを。
なにもかも承知の上で。
馬車にたどり着いた彼は、涙を流していた。
恋人は、何も知らない。
聞かされていない。
自分が余命3ヶ月だったことを。
痩せこけ、苦しみながら血を吐いて死ぬ運命だったことを。
知らぬまま、眠ったまま、
……神の無慈悲を知らされぬまま、
恋人は愛する彼によって、美しい青い湖に沈んでいった。
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