徒花はプールサイドの夢を見る

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 しかしどれだけ頭を捻っても、世話をしないと生きていけないたちと自分を重ねているだけで、感情の名前が見つからない。  私はもう一度振り返り、蜃気楼のような影を見つめる。 「‥‥私はただ、自分と似ているから、こ、こうやって水をあげているだけ、です」 「へぇ、つまりきみは、そのトマトみたいに傷がついてるって言いたいのかな?」  細めた瞼からトマトをさす人差し指が見える。僅かな沈黙のあと、口からこぼれたのは「わかりません」の口癖。彼の肩が少しだけ下がる。 「人間はね。心もあるし言葉も話せる。思ったことを伝える術を持っている。きみは植物とは違う」  そう言って踵を返した彼は、数歩先で立ち止まると、思い出したかのように振り向いた。 「南城美湖(なんじょうみこ)さん。僕は心優しいあなたの味方だよ」  ———味方?  この狭い牢獄で、私に寄り添ってくれる存在がいるなんて。  いいや、これは夢だ。  私は剪定されるべき花。  誰がすき好んで徒花を愛でるだろうか。遠ざかっていく背中を眺めると、白いシャツの輪郭が霞んでいた。まるで白昼夢のようだった。  澄んだ水をたたえる湖のように、心が豊かな人間になってほしい。  そんな思いが籠っているから『美湖』という名がきらいだった。物心をついてからずっと、そう思っていたはずなのに、あの声が忘れられない。  低いのに柔らかい、まるで楽器を奏でるような音。彼に呼ばれた瞬間、自分の名前があんなに美しい響きだったのだと、目が覚めた気分だった。  月曜日の憂鬱な空気が漂う全校集会でも、記憶に縋るようにして、何度も声を辿ってしまう。
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