ちゅ、ちゅ、ちゅ、チッ、

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 それってメビウスの輪じゃん! と言われた私の頭のなかには即座に8の字が横になったような無限の記号が浮かび、それからあの一枚の細長い紙をねじって止めて鉛筆で線を引くと紙の表裏表裏と鉛の粉が擦り付けられていって最後には二周して線がつながり以降は永遠に新規の線が既存の線に重なり続けるという小学生のころにやったかやらされたかした実験を思い出して、そもそもが私の性格のというか気性の表裏表裏がシームレスにつながって顔を出すので困っているという話をしていたわけで、私の思考はどこにも繋がらないってことかよ! と失礼なことを言われたのだと気付いたわけだがカイちゃんは深く物事を考えないタチなので恐らく、うまいことを言った、くらいの気持ちで口に出したのだろうからまあ気にしないようにし、しよう、したほうがいい、いやそんなことないよ、ここで指摘しないと、ずっとカイちゃんは気づけないのだから、気づきのきっかけを交換するのが実、実のある、みのあるかいわであって、いやそうすると私の思考及び人格がメビウスの輪であるという指摘も気づきのひとつと言えて、それはありがたい。そうか! 私とカイちゃんはそれでうまくいってきているんだったね! ベストカップルとも言える。だってこんなに長く付き合えているのはカイちゃんが初めてで、そしてきっと最後まで一緒にいられるのはカイちゃんで、ああカイちゃんのそういうところ、好き。という思いを抑えがたく、向かいのカイちゃんにちゅっと唇をつきだしてキスの真似をしてみたらカイちゃんも反射的にちゅっと返してくれて、その口の端にカレーがついているのでナプキンで拭いてあげると撫でられ待ちの実家の犬みたいに頬を寄せて目を瞑ったために庇護欲までも湧いてきて、そうなると彼を守らねばならない私はやはり、目をそらしていてはいけない。他者を傷つけることを言ってはいけないよ、つまり私の思考をしてメビウスの輪だなんて指摘するのは失礼だよ、とやはり言おうと決意したところで、カイちゃんはもうカレーを食べ終えていた。  水の入ったグラスを鋭角に――鼻の下とグラスの間の角度のことだ――傾ける彼からはいかにももう店を出たいという気持ちが透けて見えて、というより露出狂さながらに透けさせて見せつけてきているので、というのは私の気が回りすぎるからかもしれないが、こちらとしてはカイちゃんの言葉を考えるためにスプーンの動きは止まっていたのであり、私の口に収まりきる最大量で計算しても三口は残っているわけで、待たせちゃだめだ! と焦って大盛りのスプーンを口に運ぶ途中でスプーンを皿にたたきつけるように置いて、オメーのそういうところさあ! と気付いたら口に出していた。  カイちゃんはまたしても反射的に、ごめんね、と返してきて、何がごめんなんだよわけも分からず謝るんじゃないよと告げてから大口を開けてカレーを詰め込んだ。意地でも三口で食べ終えてやろう、待たされたくないんでしょ、あんたは待たされたくないんだ、と心のなかで叫んで急いで咀嚼して水で流し込んで次の一口、さっきよりさらに多めに盛って己の限界を越えようとしているところで、カイちゃんが水のおかわりを注文してくれた。  カイちゃん、ちゃんと見ていてくれてありがとう。水が無くなったらすぐに頼んでくれてありがとう。カレーの早食いを応援してくれてありがとう。こんな私の相談も実はもう五度目だけどカイちゃんがひとの話も顔も名前も覚えていないから私と一緒にいられるわけで――だって私が眼鏡をかけたり新しい服とバッグで現れると私と分からない――反射じゃなければカイちゃんじゃないし反省があってもカイちゃんじゃない! とスプーンに大盛りにしたカレーを半口食べてゆっくりかみしめてみれば、並んでまで入ったカレー屋さんのカレーは文句なしに美味しく、口をナプキンで拭ってから、ちゅ、とやればまたカイちゃんからも、ちゅ、が返ってきた。  実のある会話なんて、いらなーい! と嬉しくなったところで、こんなうまいカレー初めて食ったわ、と貧乏ゆすりをしながらだけれど顔をほころばせたカイちゃんが言うので、私も!、なんて返すけど私の作るカレーが一番だって次に部屋に呼んで夕ご飯にカレーを出した日には言うだろう。私は舌打ちをした。
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