序章:開店

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序章:開店

 今より少し時代を遡った、日本でのお話。  世間では歴史上最後となる幕府が解体され、新しく生まれた政府による統治が始まって二十年が経とうとしていたときだった。  しかし、そのような時代の揺れ動きがほとんど伝わらないような山奥のさらに奥。地域としては現在の中部地方のあたりになるだろうか。東海と中央高地の狭間に位置した、日本アルプスを遠くに臨む山々の間に、とある湖があった。誰かに名付けられたこともない、人間が立ち入らない場所にある湖。  背の低い草が敷かれたそのほとりに、二軒の石造りの小屋が並び立っていた。どちらも狩人の山小屋といったものよりも一回り大きく、一時的な住処と言うには大げさな造りである。  しかし何よりも異様なのは、それらの家の建築様式が日本家屋から遠くかけ離れたものだったことだ。  木造の骨組みの間を白の漆喰や赤茶色のレンガで埋めたこの様式を、「ハーフティンバー」と呼ばれる北欧出身のものだということを当時の日本人の多くは知らなかった。ここを訪れる者は少ないが、山を越える行商人たちは皆、文字通り異端のものを見る瞳をぱちくりさせていくのだ。  そして、それぞれの家にはもちろん住人がいた。昼下がりの快晴の下、煙突から静かに出た灰色の煙が天へと昇っている。  もしあなたがドアを開けて中に入れば、三人の魔術師が出迎えてくれるだろう。その内の一人の金髪碧眼の少女はお茶を入れていた手を止め、山奥に咲くコスモスのような笑顔で出迎えてくれるだろう。 「ようこそ! 魔導書代筆店『繰模阿(グリモア)』へ!」――という言葉と共に。
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