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現在中学二年生の私には、ある大きな悩みがある。物心ついた時から備わっていた、ある特別な能力だ。
幼稚園の時、みんなでお歌を歌いましょう!といって合唱して――突然気持ち悪くなって倒れたことがはじまりだった。保健室らしき場所に連れていってもらい、手当を施して貰った。幸いにして、私の“気持ち悪さ”は御遊戯室を離れたらかなりマシになったのだが。
『どうしたの?何か、嫌なことでもあった?顔色悪いわ』
『……なんでも、ない』
幼心に、これは言ってはいけないことなんだろうなと確信していた。
皆が歌を歌い始めた途端、一気に彼らの感情が頭になだれ込んできて大変なことになったのである。私の右隣に立っている“カギト”君は、早く家に帰ってサムライレンジャーの特撮ドラマの続きが見たいとそればかりを考えていた。左隣の“マリ”ちゃんは、自分が誰より歌が上手いから他の子が目立つのが許せないと思って声を張り上げていた。
後ろの“セツナ”ちゃんは、カギト君のことが好きでどうしたら気づいて貰えるのかとそればかり考えている。逆に、前に立っている“ムギト”君は、音痴と言われたらどうしようという恐怖心とずっと戦いながら歌っていた。
そして真正面で、笑顔でみんなの指揮をしている幼稚園の先生は。“今日も残業で嫌だ嫌だ嫌だ”とずっと思いながら一緒に歌を歌っていた。ピアノを弾いている方の先生は顔は見えないけれど、こっちはこっちで“今月は赤字だからどう切り詰めよう、いい加減旦那に煙草をやめてほしい”なんてことばかり思っている。
そういう感情が、音楽とともに全部頭に叩きつけられたのだ。そりゃ吐き気も催すというものだろう。それがマイナスの感情か、プラスの感情かなんて問題ではないのである。
――音楽を聴くと、演奏したり歌ったりしている人の心が見えてしまう。
はっきりとそう確信したのは、小学生になってからのこと。以来、私は聞ける音楽が極めて限られるようになってしまった。
コンピューターが演奏している曲はいい。曲の作り手がどんな感情をこめて作曲していようと、演奏しているのがコンピューターだから特別な感情を放射してこないのである。だから非常に気楽。演奏者がいないボカロ曲なんかを、私は一人で聴き漁るようになった。
あるいは、聴いても不快にならない感情の曲。純粋に音楽が大好きな気持ちで溢れていて、それを届けたいと素直な気持ちで願っている人が演奏している曲ならば聞けないこともない。無論、それを判断するには一度聴いてからでないとわからないわけだったが。
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